俳句添削道場(投句と批評)

つちや郷里さんの添削最新の投稿順の60ページ目

「愛兎愛モルモットと共に梨を食ひ」の批評

回答者 つちや郷里

添削した俳句: 愛兎愛モルモットと共に梨を食ひ

もるまみれさんはじめまして。よろしくお願いします。
ひょっとしてお名前はモルモットが由来ですか?

御句
情景はわかりますが、書き方に問題があります。
上五の「愛兎愛」って何?と思いましたが、「愛兎」と「愛モルモット」ということですね?
あと、中七の字余りは避けた方がいいです。
兎とモルモットを両方とも入れ込んだら材料が多くなってしまいますが、相当愛していらっしゃるようなので、2匹ともこのままで。
ちなみに兎は冬の季語ですが、ペットの兎なら季語にはならないはずなので、問題ないと思います。

・「共に梨食らう兎とモルモット」
両方入れたらペットという情報が入らなくなりました。
無闇矢鱈に使ってはいけないものですが、前書きで「愛するペット」と書くしかないかな~。
私の実力ではこれが限界でした。

これからもよろしくお願いします。

点数: 1

「空の猫ゴロゴロ鳴りて垂れる稲」の批評

回答者 つちや郷里

添削した俳句: 空の猫ゴロゴロ鳴りて垂れる稲

「空の猫」・・・
一応聞きますが、造語ですよね?調べても出てこなかったので。
猫が喉をゴロゴロと鳴らすのと雷のゴロゴロを掛けたものだと思いますが、俳句では何かを掛け合わせたりするのは嫌われます。捻らず率直に書きましょう。

俳句では無駄な言葉は省きましょう。
「ゴロゴロ」と書けば「鳴る」は不要です。逆も然り。
「雷」や「雷鳴」と書けば両方とも不要です。

メインの季語は「稲」だと思いますが、「雷」と書くと季重なりになるので、「雨雲」とします。
ただし、コメントを読んだ感じ、「稲」よりも「稲刈」の方が合ってると思いました。

・「稲刈の頃か雨雲鳴りにける」

またよろしくお願いします。

点数: 2

「水の秋砂の器に消えにけり」の批評

回答者 つちや郷里

添削した俳句: 水の秋砂の器に消えにけり

再訪です。

文字というものは感情が伝わらずどうしても冷たくなるものです。
そのうえで決して叱っているわけではないということを表すために「申し訳ない~助かります」という言葉をつけたのですが、伝わっていないようで残念です。

俳句の学び方は人それぞれなので、ケントさんのやり方を否定はしませんが、句意が伝わらなければ感想自体も言えないというのも事実だと思います。
何かしらヒントとなるワードを書き込んでいただければ、こちらも助かると言いたかったのです。

「水の秋」という季語ですが、歳時記などにそのような説明が載っていたのなら申し訳ないですが、私は「水の澄み渡る秋」という解釈です。
「秋の澄み渡る水」という意味にしたいのであれば「秋の水」または「水澄む」という水に焦点が当たった季語の方が良いのではないでしょうか。
「水の秋」はあくまで秋に焦点が当たっているように感じられるので。

「砂の器」は砂の水たまりを表現したかったとのことですね。
俳句は情景描写なので、捻った表現はあまり好まれません。
また、ケントさんが詠まんとした情景は思いが入り込みすぎて俳句にするには容量オーバーなように思えます。

・『砂の水たまりに秋の水消えゆく』
切れを作らず、最後を字余りにしたことでゆったりした感じを出しました。
水たまりの水は「秋の水」という季語の本意からズレている気もしないでもないですが、ケントさんの詠みたかった光景には近づいたと思います。
俳句は「語らない芸術」だと思うので、これくらいの余情を残して、あとは読み手に綺麗な光景だなと思わせるのが大事です。

長文失礼しました。
今回、私の文章力の拙さでご不快な思いをさせたこと、申し訳なく思います。
どうしても冷たく聞こえるかもしれませんが、私は叱ってもいませんし怒ってもいませんので、お気になさらないでください。
これからもよろしくお願いします。

点数: 3

「髪の毛の絡む石鹸我鬼忌かな」の批評

回答者 つちや郷里

添削した俳句: 髪の毛の絡む石鹸我鬼忌かな

こんばんは。

御句
私の解釈では「かな」という切れ字は中七から下五まで句切れなく続かないと効果的ではないという印象です。単に強調するだけの切れ字ではないと思うので。
それと、石鹸よりはそのまま排水溝のほうがいいかなと思いました。
石鹸に髪の毛というのがイメージしにくかったのと、排水溝の暗さと淀みが芥川龍之介と合っているのではないかと思いました。

・『髪の毛の絡む我鬼忌の排水溝』

またよろしくお願いします。

点数: 1

「追憶の声のやうなる秋風鈴」の批評

回答者 つちや郷里

添削した俳句: 追憶の声のやうなる秋風鈴

おかえさきさんこんばんは。
曼珠沙華の句へのコメントありがとうございました。
ご心配かけてすみません。戻るべきかどうか1週間ほど迷ってました。

「かな」の使い方についてですね。私の知識と解釈のなかで解説してみます。
そもそも、俳句の切れ字の「かな」は、「大丈夫かな?」とか「この店開いてるかな?」みたいな日常生活でよく使う疑問形の「かな」とは違います。
疑問形の「かな」と切れ字の「かな」はどちらも「か」と「な」という2つの助詞がくっついて成り立っています。そのうちの「な」の方はどちらも同じく詠嘆の終助詞ですが「か」は別物です。
疑問形の「かな」の「か」は疑問の終助詞です。例としては「大丈夫か?」「いい方法はないか?」といった感じです。
切れ字の「かな」の「か」は詠嘆の終助詞です。例としては「やっと終わったか」「もうこんな時間か」といった感じです。
つまり切れ字の「かな」は詠嘆の終助詞が2つくっついた形というわけです。

前置きがだいぶ長くなりましたが、切れ字の「かな」に対する私の解釈は、最後の名詞を強調しながら句全体を優しく受け止めるような感じです。
中七で一旦切れて、下五に「かな」が来ると、句が分断された印象が強くなり、句全体のまとまりが無くなってしまうような気がします。
また、夏井先生によると「かな」は「私はこう思いましたが、皆さんはどうですか?」と投げかけるニュアンスも持つらしいです。
私が以前詠んだ句を例に出しますが「生意気にトマト転がる厨かな」という句は「トマトが厨を生意気に転がっているように見えましたが、あなたはどう思いますか?」となります。
つまり、直前の名詞を強調しながら句全体をまとめる働きを持ち、読み手に作者の感動の焦点や光景について是非を投げかけるニュアンスも併せ持つ、そんな切れ字なのではないかと思います。
なので、句全体、少なくとも中七から下五まで繋がっていないと、しっかりとした効果が発揮されない切れ字だと私は解釈しているわけであります。
※いろいろな解釈があるので、私が絶対に正しいというわけではありません。

かなり長くなってしまうので、御句の添削は手短に行います。ご了承ください。
・「追憶」という言葉に「秋」である必然性が出ていると思います。
・「やうなる」と直喩を使うと、少し句がダレている印象があるので、言い切ってもよさそうです。

『追憶の声なり秋の風鈴は』
「追憶の声である」と言い切って、最後の「は」という助詞で余韻を持たせました。
いかがでしょうか。

かなりの長文失礼しました。
これからもよろしくお願いします。

点数: 2

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