「いざ行かん大事の日にぞ雪化粧」の批評
初めてつくった俳句
は詩人の片鱗を見せていたと言われていたハオニーです
今や詩人ではなく変人で過言ではないです(
先にことわっておきます
他人の俳句に手を入れる技術は難しい上に上達しづらいのです
作者様の生の意見を聞かないと、どのような一句に近づけたかったのかが判断できないからです
しかし、鑑賞のテクニックならば教わればすぐに違う見方が出来るようになるでしょう
俳句は読み方が分からないと、「なんかいいよね」と感覚で終わってしまいます
しかし感覚を理論として身につけている方は、身についていない人よりいい俳句ができる可能性が上がります
そろそろ本題へ...
この句の季語
は「雪化粧」ですから、冬を表しています
そのため、この句は冬の大事の日のことを語っているものだと思われます
だから卒業式や入学式などの春の光景をイメージするのは、この季語から考えると不自然な捉え方です
それほど、季語というものは強い世界観を持っているのです
私が気になることを
「雪化粧」という季語は美しいものです
そのため、ホワイトクリスマスなどの「いいこと」が待っているのだと私は想像しました
楽しいことだと仮定すると、この句にはウキウキした気分がなく、どちらかというと力強く厳かな感じです
重苦しい、不穏なことが待っているけど「いざ行かん」なのだとしたら、季語「雪化粧」では気分が合いません
このチグハグさが、この句の弱点なのです
手直しの句はいくらか考えられますが、今からお見せする句は作者様の意見を無視しているので「添削
」とはいえません
勇ましい「いざ行かん」を残してみます
大事の日はおそらく「ハレの日」でしょう
チグハグさをなくすため、オシャレすぎる季語を変えます
いざ行かんあのハレの日の雪晴れへ
思い出はいつも雪...
作者自身は「ハレ」を望んでいるのだ、という意味を込めた句です
これなら俳句としてある程度サマになっていると思います