俳句添削道場(投句と批評)

長谷機械児さんの添削最新の投稿順の51ページ目

「魚介獲る女ら囲う焚き火かな」の批評

回答者 長谷機械児

添削した俳句: 魚介獲る女ら囲う焚き火かな

カイさん、お久しぶりです。

御句、季語「海女」(晩春)を避けるために妙に語数を増やした感じがします。いっそ焚き火を消して当季の句にしては?とも思うところがあります。

一旦、「焚き火」の句として。

先にも触れましたが、「魚介獲る女ら」は、季語をばらした説明みたいになっています。単に「女ら」として、別の言葉で海女さんかもなあ…程度の想像を読み手にさせるのが良いと思います。

 女らは焚き火囲んで武勇譚
 女らの荒磯を見遣る焚き火かな

あと、別の季節が投句されても構いはしないのですが、またその季節が来るまで句を寝かせておいても良いかも知れません。時間をおいて見返すと新たな発見があったりもするようです(そういう指南をされる女性俳人の動画を見たことがあります)。

今後ともよろしくお願いします。

点数: 2

「踠きたる墓前湯飲みの春の蚊よ」の批評

回答者 長谷機械児

添削した俳句: 踠きたる墓前湯飲みの春の蚊よ

いくさん、こんにちは。

御句について。

俳句らしい句材だなと思います。越冬して生きながらえてきた春の蚊は夏を前にさようなら、ですね。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
・“中七がもたもた感がある”とのコメント通りです。思うに、「墓前」と「湯呑み」の二つを置くのが欲張りなので、この2つの事物を分けて2句に出来ると思います。
・「踠きたる」という動作の主体はたぶん「春の蚊」だと思うのですが、位置的に遠いので近づけたいです。

イサクさんが湯呑みの提案句を残されたので、「墓前」でもがいているほうを。湯呑みを消すので、もがく、でなく、溺れる、にしました。溺れている場所が湯呑みか花生けか水溜りか…それは読み手にお任せで。

 春の蚊の溺れてをりぬ墓のまへ

今後ともよろしくお願いします。

点数: 1

「ラジヲ聞くダディーかぎろへる百マイル」の批評

回答者 長谷機械児

添削した俳句: ラジヲ聞くダディーかぎろへる百マイル

こんにちは、再訪です。

「予想屋」句のコメントありがとうございます。

> ただ、「虚構」「白昼夢」という読みを決めてそこで批評されても困惑でした。

これは、「…しかし、これだと、陽炎の句というより、白昼夢…。季語「陽炎」がまったく生きていない解釈。俳句を読んでいる感じもしない…。」というところを受けてと思いますが、これは、「批評」ではありません。
私の「解釈」の問題です。これこれこういうアプローチで読み進めてきたけれども、この読み方は違ったか、ほかに季語の生きる俳句らしい読み方があるんだろう、といったところです。誤解をさせて済みません。

あと、私の「予想屋」句のコメントについて、細かーい所(俳句とは特に関係ない点)を指摘させて頂くと、錦糸町の場外馬券場には予想屋はいません。中央競馬(JRA)では予想屋というものを公に認めていないので、やっていたらコーチ屋の類、違法行為です。

今後ともよろしくお願いします。

点数: 1

「錆色の刀剣残す春怒濤」の批評

回答者 長谷機械児

添削した俳句: 錆色の刀剣残す春怒濤

カイさん、こんにちは。

カイさんの句を既に何度か拝読しているので、カイさんらしいとも思うのですが…、景が見えない句になっています。

季語「春怒濤」が景としてでなく、句を勢いづけるためのアクセントみたいに置かれている感じがします。ほんとうに“怒濤”といえるような波を目の前にして、この上五中七は出てこないような気がします。この上五中七(昔から繰り返された戦乱に思いをはせる)には穏やかな「春の波」くらいがよいような気がします。
・動詞「残す」の主体が不明である点も気になります。
・「錆色」…“錆び”で古さ、歴史を感じさせるというのはよくある手だと思いますが、…必要でしょうか? コメントに「刀剣の多くは、海に落ちました」とあり、錆びよりも数の方が、読み手にイメージさせるのに有効であるような気がします。

 幾千の刀剣底に春の波

今後ともよろしくお願いします。

点数: 1

「陽炎やタワーの下の水子地蔵」の批評

回答者 長谷機械児

添削した俳句: 陽炎やタワーの下の水子地蔵

なおじいさん、こんにちは。

「予想屋」句にコメントありがとうございます。

演劇部ですか。演劇の寺山作品はよく知らないのですが、映画を見る限り、前衛的な演出が多く、高校生が手を出すのは大変そうだと思いました。“訳わからずに”“言われるがまま”、何となく想像できます。

御句について。

遠くを眺めているような上五「陽炎や」と、タワーから水子地蔵に視点移動させるような中七下五の表現との配置が、季語の本意云々でないところで、合っていない(忙しい)気がします。「陽炎と東京タワー」「陽炎と水子地蔵」それぞれは、別によいと思うのですが。

タワーから水子地蔵への視点移動という、この中七下五を維持するなら、別の季語(視覚情報の少ない季語)がよいかと思います。

 夏近しタワーの下の水子地蔵 (無難な時候季語)
 春雨やタワーの下の水子地蔵 (景全体を覆うような天文季語)

今後ともよろしくお願いします。

※他の方がコメントされている季語「陽炎」の本意周辺について。(御句自体からは逸れた話になりますが…)

私の手許にある3種類の歳時記とWeb上の「きごさい」に当たると、1種類(平凡社)と「きごさい」で、たしかに“うららか”“のどか”の言及がありました。残る2種類(角川、主婦の友社)は現象の説明のみで、どんな感慨かの記述は無し。

歳時記の説明文中で気になるのが、現象の原因を「地面からの蒸気」としている点。3種類の歳時記にこの記述がありますが、残る1種類(角川)と国語辞典やWikipediaの「陽炎」項には見られない記述です。この「陽炎」(“うららか”“のどか”と見る季語の陽炎)は、普段見ている物理現象の「陽炎」とは別物(か、シチュエーションを限定したもの)なのではないかと。普段見ている陽炎現象の地面に水気は皆無(直射日光を浴びているアスファルト、コンクリート、鉄…)なので。

今月号(5月号)の角川俳句で季語の本意が変わる/変える事についての対談がありました(別に「陽炎」への言及はないです)が、「陽炎」もまたその途中にあるのかも。

あともう一点、イサクさんが採りあげられている「ひんがしの野」に立つ「かぎろひ」は、あの現象のことではなく「夜明けの光。曙光」です。今の古語辞典でも、昔私が受けた古典の授業でもこれには変化無く(古典の授業を受けた際に、“月は東に日は西に”の逆パターンだな、と了解した記憶があります)。なぜか「きごさい」が、「陽炎」項の中に【文学での言及】として載せているのですが…。

長々と失礼しました。

点数: 1

長谷機械児さんの俳句添削依頼

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