「陽炎やタワーの下の水子地蔵」の批評
なおじいさん、こんにちは。
「予想屋」句にコメントありがとうございます。
演劇部ですか。演劇の寺山作品はよく知らないのですが、映画を見る限り、前衛的な演出が多く、高校生が手を出すのは大変そうだと思いました。“訳わからずに”“言われるがまま”、何となく想像できます。
御句について。
遠くを眺めているような上五「陽炎や」と、タワーから水子地蔵に視点移動させるような中七下五の表現との配置が、季語
の本意云々でないところで、合っていない(忙しい)気がします。「陽炎と東京タワー」「陽炎と水子地蔵」それぞれは、別によいと思うのですが。
タワーから水子地蔵への視点移動という、この中七下五を維持するなら、別の季語(視覚情報の少ない季語)がよいかと思います。
夏近しタワーの下の水子地蔵 (無難な時候季語)
春雨やタワーの下の水子地蔵 (景全体を覆うような天文季語)
今後ともよろしくお願いします。
※他の方がコメントされている季語「陽炎」の本意周辺について。(御句自体からは逸れた話になりますが…)
私の手許にある3種類の歳時記
とWeb上の「きごさい」に当たると、1種類(平凡社)と「きごさい」で、たしかに“うららか”“のどか”の言及がありました。残る2種類(角川、主婦の友社)は現象の説明のみで、どんな感慨かの記述は無し。
歳時記の説明文中で気になるのが、現象の原因を「地面からの蒸気」としている点。3種類の歳時記にこの記述がありますが、残る1種類(角川)と国語辞典やWikipediaの「陽炎」項には見られない記述です。この「陽炎」(“うららか”“のどか”と見る季語の陽炎)は、普段見ている物理現象の「陽炎」とは別物(か、シチュエーションを限定したもの)なのではないかと。普段見ている陽炎現象の地面に水気は皆無(直射日光を浴びているアスファルト、コンクリート、鉄…)なので。
今月号(5月号)の角川俳句
で季語の本意が変わる/変える事についての対談がありました(別に「陽炎」への言及はないです)が、「陽炎」もまたその途中にあるのかも。
あともう一点、イサクさんが採りあげられている「ひんがしの野」に立つ「かぎろひ」は、あの現象のことではなく「夜明けの光。曙光」です。今の古語辞典でも、昔私が受けた古典の授業でもこれには変化無く(古典の授業を受けた際に、“月は東に日は西に”の逆パターンだな、と了解した記憶があります)。なぜか「きごさい」が、「陽炎」項の中に【文学での言及】として載せているのですが…。
長々と失礼しました。
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こんにちは。前句「あのカーブ」にはコメント有難うございました。
本句は、今日、東京タワーに行った時の句です。ご存知と思いますが、近くに増上寺という名刹があり、そこにたくさんの水子地蔵が並んでいます。
ご意見よろしくお願いします。