「患者の目見ない医者たち春おぼろ」の批評
回答者 げばげば
添削した俳句: 患者の目見ない医者たち春おぼろ
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句。イサクさんがすべて言ってくれています。
『「春」「朧」の季重なりを避けて、「朧」が夜の屋外季語であることを意識して、「たち」だと時間の間隔が長すぎるので、という三点を丁寧に解消してみます。
・窓はおぼろ医師は私の方を見ず』
このコメントと同意見です。
「朧」は朧だけで春の季語となります。そのため、春おぼろという季語は「春」と「朧」という二つの季語が重なるかたちです。「うらら」と「春」で「春うらら」。こういう表現も季重なりとされています。
一方、「霞」はそれだけで春の季語となりますが、傍題で「春霞」という季語もありますので、「春霞」で季重なりとはならないと思います。このあたりが歳時記に載っていますので、一度研究してみてください。
ちなみに、「朧」は「春、は空気中に水蒸気が多いので、像がぼんやりと潤んで見える様子」を表す天文の季語なので、屋外の季語です。病院の中に朧はないので、病院から屋外の朧が見える窓であれば、この矛盾は解消できるはず、と「窓はおぼろ」という添削が入っています。
そして、もうひとつは時間経過。「医者たち」という表現だと、まず、一人の医者にみてもらって患者の目をみない、次に違う医者も患者の目をみないというとなると、何人かに見てもらう分の時間の経過があり、一瞬を切り取る俳句に適さないということで、「たち」でなくてもいいのでは?という提案でした。これに関しては提案で、実際、一部屋に複数の患者と医師がいて、詠み手が客観的に医者を複数人見て、どの医者も患者の目を見ていない、ということであれば一瞬を切り取っているので、「医者たち」という措辞もありえると思います。
最後にイサクさんにしても佐渡じいさんにしても、1年以上の付き合いですが、まったく上から目線の方たちとは思えません。自分のめちゃくちゃ忙しい実生活を割いて、私たちにコメントを置いてくださる慈悲の方たちだということは伝えておきたかったです。「教えてあげてる」という驕りのある方たちでもありません。
ただ、この道場も顔の見えないコミュニケーションなので、コミュニケーションが上手くとれないと、何かを伝えるようとか教えるようとかという気持ちがなくなってしまうというのもネット社会だけに限らず世の常だと思います。あくまでボランティアで善意で書き込まれてるものですし。
そういう意味で「人間性」のことを言ったり「残念です」という言葉はすごく気になって仕方ありませんでした。それは、「自分の尺度で自分のタイミングで自分の都合で聞きたいことの通りに来なかったときに、相手の方が悪い」という言葉に見えて、「私の質問に答えないなんて人間性が上からの残念なやつだ」と感じて、その方が上から目線に感じたからです。学びたい、知りたいという強い気持ちはとても伝わってきました。私も俳句が好きですから自分の知ってることはできるだけお答えしたいなあと思いますし、私も知りたい吸収したいと思ってここで投句します。一方で、この方の質問のしかたとても謙虚で素敵だから返事をしたいなあ、とか、そういう感情だって人間だから起きるもんです。
第三者が出しゃばってきましてすいません、今書いたコメント読み返しましたが、たぶん私も森本さんからすると上から目線で残念なのかもしれません。それならすいません、長文失礼しました<(_ _)>
点数: 7