葛切や奈良をいろどる古都町家
回答者 卓鐘
添削した俳句: 葛切や卯建を誇る古都町家
「葛切」と「卯建を誇る古都町家」の言葉のバランスが、後半に寄りすぎてしまっ季語が生かされていないように思います。「卯建」の句かと思うほど。
「古都町家」のトーンをもっと緩やかにやめばバランスが整うかと。
点数: 0
回答者 卓鐘
添削した俳句: 葛切や卯建を誇る古都町家
「葛切」と「卯建を誇る古都町家」の言葉のバランスが、後半に寄りすぎてしまっ季語が生かされていないように思います。「卯建」の句かと思うほど。
「古都町家」のトーンをもっと緩やかにやめばバランスが整うかと。
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回答者 卓鐘
添削した俳句: 当日に中止のメール藍浴衣
^^/
川柳ぽいですね。俳句と川柳の違いって難しいですけど、俳句としてよくなるためには「詩の分量」だと思います。(また抽象的) 「滑稽・風刺」と「詩情」は並立するケースもありますが、多くの場合相反してしまうように思います。俳句の場合、詩情を前面に出し、「滑稽・風刺」をそこに込めるというくらいでちょうどよくなると思います。
「詩情」を出すために、もっともベーシックで比較的簡単な方法は、ちゃんと季語の力を借りることかと思います。季語って、現実であると共に空想の産物でもあります。実態としてのただの物というだけではなく、「龍」「不死鳥」などと同様共通認識としての連想や意味があります(これを季語の本意(ほい)といいます)。季語の本意は、ただの物や現象としての意味ではありません。それを活用するのが俳句の約束(絶体ではない)です。なおじいさんの俳句は、現実の物・現象の側面だけを捉えてしまう傾向が強いのだと思います。空想・架空のものとしての季語(この言い方には異論がある人はいると思いますが。)の本意を読み込むことによって俳句らしさは出ると思います。
前置きが長くなりました。御句「藍浴衣」を季語として捉えられているか。という問題になります。結論、まぁまぁ生きていると思います。「藍浴衣」には、気品という連想が働くので、人物・ガッカリした様子・季節・何かの行事・でも毅然としている。そんな印象が浮かびます。詩情としては、季語をただの物と捉えれば、「えっ、ウソ!」「今頃?」のあたふた感がありますが、季語を季語として捉えるならば、「残念に思いながらもそこに動じない凛とした姿」が連想されます。これが「祭浴衣」「初浴衣」だと全然違う読みになります。
少し気になるのは、「に」の説明くささです。(滑稽の量が多い)また、メールと藍浴衣も新旧の対比があって面白いには面白いですが、藍浴衣を生かすなら変えた方がいいかもしれません。
点数: 2
回答者 卓鐘
添削した俳句: 野茨やフェンスに穴の空いており
新しい句にコメントしようと思いましたが、あまり遅くてもあれなので。
いつもコメントありがとうございます。とても参考になってます。
「滝落つ」問題。僕は大変な勘違いしておりました。滝が落ちるって変でしょ。という指摘と勘違い。。滝は落ちる物なんで、わざわざ落ちるという必要があるか?!という指摘でした。(そういう意味で確かに、炎が燃える、光が輝く、はくどいですね。)
滝が落つ、四葩咲く(紫陽花咲くとはあまり言わない)、浴衣着る、など一定あえて動詞を重ねる用法がよくみられる季語ってありますね。)どれも理由がそれぞれあると思いますが、滝の場合の僕の分析では以下2つがあるかなと考えてます。
1、滝から滝の水の部分だけを抜き出して「滝」と表現し、全体を思わせつつも落ちている水に焦点を当てる。(単に水の省略と考えると少し陳腐に思える。あくまで全体の一部)
滝落下して滝壺にまぎれこむ/竹越朋子
2、滝全体の描写としての滝落つ。滝を詠んでみて思ったのですが、音、飛沫、色、大きさ、あまりにも要素が多すぎるので、焦点を絞るためのあえての滝落つ。
滝落ちて群青世界とどろけり/秋桜子
先の僕の、「瀑布落つ」ですが、1の効果を狙いました。映像としてはその分厚い水のまま落ちる瞬間のドアップを見せて、その後は想像させたかった。意図だけはありました。意図だけは。。。。でも、水流もあるし、瀑布という時点で落ちている豪快さが出るので流石に。。。その通りだと思いますorz
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回答者 卓鐘
添削した俳句: 朝焼や運慶の寺へナビセット
詩情が消えてしまってます。朝寺に向かう車。見ると朝焼けが綺麗で寺へ向かう道を光が導いてくれるかのようだ。詩の核としてはこんなところでしょうか。
すると色々考えなくてはなりません。
・最後にナビセットとナビ画面がアップになっては朝焼けが生きません
朝焼け無視で、カーナビに目がいってしまいます。おそらくナビセット♪みたいに、これからの気分を出したいのだと思いますが、最後にその名詞をおけばそこに読み手の意識がグーっと引き寄せられます。
・運慶を入れたい意図があるか
事実だからは理由になりません。事実を全部入れたかったら、日記でという話になっちゃいます。固有名詞を入れるならば、その固有名詞が動かないようにしないといけません。この句の中で、運慶でなくてはならない理由は見つかりませんでした。(運慶にご本人が、どれほど思い入れがあろうと、詩情に運慶が必要である必然性がないと運慶も急に呼び出されてかわいそうです。)
細かいところでは、「運慶の(仏像がある)寺」って色々あってそこも読みが迷います。
ただ、運慶の寺といわれると東大寺のような豪華絢爛な寺よりも、緑に囲まれたひっそりとしたところを思い、そこの朝焼けとは響き合う気もします。
・朝焼けと運慶
・朝焼けと寺へ向かう車
どちらかに絞らないと要素が多いと思います。
全者での提案句。
点数: 2
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