俳句添削道場(投句と批評)

イサクさんの添削最新の投稿順の1486ページ目

「パンジーや日本語馴染む異邦人」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: パンジーや日本語馴染む異邦人

おはようございます。

まずコメントの話を、他の方とあわせて補足です。

★投句された句の著作権がどうなっているか確認できますか?
 多くの投句先は「入選句のみ投句先が著作権をもつ」あるいは「入選句の著作権はそのままで、投句先が媒体などで使う権利を持つ」というものが多いので、ボツ句は問題になりにくいですが、
 数は少ないですが、一部の投句先には「投句された句のは、すべて著作権が投句先に移る」というものがあります。
 この場合、ボツ句もウェブや冊子に掲載される、というケースが考えられるので、勝手に使うのは憚られるところです。

★著作権が投句先に取られないことがわかっていて、
 「ボツ句は二度と表に出てこない」ことがわかっているならば、ここに出すのはかまわないと思います。その後公開句になりますので、未公開句のみ募集している投句先には出せなくなりますが。

で、御句の件
ダメだったところが知りたいというので、ちょっと厳しめに参りますね。

コメントを見る限り、
「一通り抑えるべきところは抑えてる」と褒めるわけにはいかない句でした。

◆「パンジーは日本語に馴染む異邦人みたいですよ」という散文に近い形です。
◆取り合わせではなく季語の説明になっています。

その説明についても、コメントにある「日本語馴染む異邦人と同じだな~」というご自身の感想が主体なので、一物句にするならこれを自分の感想⇒他社の共感まで持っていかないといけません。
「馴染みたる異邦人かなパンジーとは」
一物句ならこんな感じでしょうか。下六字余りです。

特に「や」で切る「取り合わせの句」について、いまいちどご確認を・・

点数: 1

「風鈴の音のみ残る廃駅舎」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 風鈴の音のみ残る廃駅舎

おはようございます。

◆「音のみ残る」というのでコメントとは違う風景を想像しましたが、風鈴そのものは駅舎にあるのですね。ここは「音のみ」「残る」と大げさにせず、粛々とあるがままを描写したほうがよいと思います。

◆「廃駅舎」というのが窮屈な表現に感じます。

提案句はあらちゃん様に一票ですが、自分でも考えてみます。風鈴は「鳴る」と出さずとも音を感じる季語ですので・・・

・廃駅にただ風鈴の残りをり

点数: 0

「空蝉や幼子の手に余生舞う」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 空蝉や幼子の手に余生舞う

おはようございます。はじめまして。

ここは俳句の説明をコメントできますが、俳句は句だけでまずは勝負、という意味でいくつか気になりました(初心者のうちは自句コメントしてもらった方がいいです。句の意図と句そのものが乖離していることがあるので)

慈雨様が先におっしゃっていますが
◆御句では「余生」が、子の余生のことだと思ってしまいます。
 理由は、途中までは子のことをやさしく表現しているのに、句の中に【自分】が突然登場し、自己主張してくるからです。
 とはいえこの内容ならば自分への切り替えは「わが余生」と二音足せば理解可能なので、上手にやれば調整可能かと思います。

他の点で、
◆さて、セミの抜け殻で遊んでいる表現に「舞う」は適切でしょうか?
 木村様のせいではありませんが、「舞う」はちょっと雰囲気が良く感じる動詞のため、初心者さんはなんでも「舞う」と擬人化したがる傾向があります。ですが「舞う」という動詞は、雰囲気だけで結構曖昧な状況しか表現できないんですよね・・・
 この「舞う」、別の表現にできないか検討してみてください。
◆「幼子」おさなご、で四音使っていますが、セミの抜け殻で遊んでいるような子なら「子」の一音でも想像できそうな気がします。
 「幼」という説明の三音をわざわざ入れる必要があるかどうか?という点が気になります。
 俳句は説明を嫌います。いわなくても読者が理解できることを説明されると、「わざわざ説明して~」みたいなことになり、俳句としての感動が減っていきます。かと言って「言わなければ伝わらないこと」も多く、この塩梅は難しいところなのですが。

上記より、たとえば推敲として、
「自分」を入れて「舞う」「幼」を省略した形をひとつずつ考えてみます。

・空蝉や幼子の手にわが余生 (慈雨様提案と同じ)
・空蝉や子の手に吾(われ)の余生舞う

ひとまず、上記のような形を思います。
さらに推敲して、

・空蝉に遊ぶ子の手やわが余生
・空蝉や子の掌(てのひら)にわが余生

さらに、俳句の中で「空蝉が自分の余生」という感想を中心に描くか、「子の遊ぶ空蝉」を中心に描くか、という推敲の方法も考えられます。とすると他を省略していき、読者の想像に任せる形になっていきます。これは中級以上かもですが。

・てのひらや空蝉はわが余生なり
・たからものとして空蝉そつと子は

点数: 1

「ふらここや中絶薬はしろじろと」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: ふらここや中絶薬はしろじろと

こんにちは。

他の方とのやりとりを見てました。私自身思うこともあり、3~4年前を思い出して、最近の私よりちょっとだけ厳しめにコメントしてみますね。

◆初手で気になったのはいわゆる季語のウチソト問題。「ふらここ」がある場所にこの「中絶薬」があるのかどうか?作中主体はどこにいるのだろうか?
 「ふらここ」を窓から見ている、とも考えづらいです。
◆中七下五で、作者の言いたい「薬が白いことと、白い薬を見たときの感慨」を言いすぎているように感じます。
 助詞「は」の効果もあるように思いますし、「しろじろと」という言い方のせいでもあるかも。
◆「ぶらんこ」ではなく「ふらここ」としたことの効果は?

さて、この句の現場には「ふらここ」があるのか、「中絶薬」があるのか。季語である以上「ふらここ」が実景という方針で作っているのだとは思いますが(だから「握れない」)、この句がそれを表現できているかどうか?

あと、少し別の見方のお話です。
◆「錠剤の色」という内容の句は某○○組では頻繁に見ます。季語と薬の効果と色の組み合わせに+αの表現技法を加えた句。個人的には作為を感じる句になりやすい印象があります。過去の似た句との差も感じやすいので、いろいろと試してほしい気はします。

・夏近し空は中絶薬のいろ

点数: 1

「母の日や手術するにも保証人」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 母の日や手術するにも保証人

こんばんは。

取り合わせの俳句として成立していますし、十分な句だと思います。

・母親の手術で、自分が保証人になっている。
・自分の手術で、母親に保証人になってもらっている。
・自分の手術で、母が亡くなってしまっていて保証人を誰にお願いしようか迷っている(困っている)。
・母親とは関係なく手術の同意書を書いており、今日が母の日である(あるいは母の日が近い)ことをふと思い出した。

たとえば上記のような想像・解釈のできる句になっていると思います。

「褒めてほしい」ということなので欠点は特に挙げません。
よろしくお願いします。

点数: 1

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