俳句添削道場(投句と批評)

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裏町の地蔵の灯にも秋来る

回答者 よし造

添削した俳句: 道傍の地蔵の灯にも秋来る

拙句・・鑑賞していただきありがとうございました。本当に私のような典型的な庶民もメロンが普通になりましたね。夏の氷など考えると、現代人は王様以上の食の贅を尽くしていると思います。
御句・・げばげばさんには珍しく正調俳句です(誉めてます)。この「も」の使い方も正調です。実景ですからこのままでもいいのですが、裏町とすると少し情報が増えると思いますが、いかがでしょう。

点数: 1

「吟行のいつも殿秋日傘」の批評

回答者 げばげば

添削した俳句: 吟行のいつも殿秋日傘

こんにちは。
いつもコメントありがとうございます。

御句、実感の句でもありますね。
私、結構速足の人間で、いつもスタスタと先に歩んでしまってよく早いと怒られることもしばしばありました。
が、作句をするようになって、とにかく歩くのが遅くなりました。いろいろなことを考えたり眺めたりメモしたりしているうちに、いつの間にかゆったりと歩いている自分に気づいた。御句、そういうことが思い浮かべられました(*'▽')

点数: 0

社会的時差ぼけといふ盆の月

回答者 卓鐘

添削した俳句: 社会的時差ぼけ待つや盆の月

西瓜の句コメントありがとうございます。「食べ終へし西瓜の皮やとりどりに」これで完結したと思いました。長谷機械児さんの添削句はおー!としばしば思います。

「社会的時差ぼけ」はなかなかの挑戦ですね。詩になりにくそう。「待つや」がよくわからなかったので。

点数: 0

「立つ秋やトイレきれいな無人駅」の批評

回答者 卓鐘

添削した俳句: 立つ秋やトイレきれいな無人駅

いい句ですねー。

理屈・説明・重複した無駄な言葉が一切ない。トイレが綺麗だというだけで、その駅および駅周辺の住人の性質や駅周辺の気品のようなものが見えてきます。駅周辺の民家や看板、花野や田畑も決して寂れて荒れ果てた様子ではないことが想像できます。爽快に秋の爽やかな空気が広がります。

点数: 2

「立つ秋やトイレきれいな無人駅」の批評

回答者 幸福来々

添削した俳句: 立つ秋やトイレきれいな無人駅

『西瓜』の句のコメントありがとうございます!

熊本の植木というところの西瓜が有名で、これはそこの文化なのかもしれません。
小学校低学年の頃、よく父の職場に連れられてまして、仕事手伝わされてました。
その中でも、この出来事が一番思い出に残ってます。

本当は大量にある中の一つと言いたかったのですが、沢山あることを表現するのは諦めて、まだ他にあることを表現するために『一個目』と詠みました。
が、諦めきれてなかったみたいだなと『第一声』という提案に気付かされました^^;
こっちの方が「声がでかいに違いない」と思えると思います!ありがとうございます!

私は感情語を入れるのは、苦手で避けて通ってました^^;
今度勉強して、感情語ありきでチャレンジしてみようかなと思いました!

本句ですが、なんか素敵ですよね。
無人駅のトイレがきれいであるってこと。
人がいないからきれいではないということが、田舎の公園のトイレに行けばわかりますもんね。
無人駅のきれいなトイレをみて、人の手が入っていること、人の存在を感じる。
素晴らしい感性だと思います。

一点どうしても気になるのが「秋立つ」ではなく、『立つ秋』なのかです。
『立つ秋』と表記を変えることにより、ぶっちゃけ「立秋」に無駄な擬人化を感じてしまいます。
素直に季語の表現を尊重すべきであると私は考えます。

あと、「こんなところにこんなものが!」みたいな発見系の句で、「みつけた!」感を出すとしたら、使える技術がありまして、紹介させてもらうと。

助詞「に」を使うと発見感がでます。

『トイレきれいな無人駅』よりも『無人駅「に」きれいなトイレ』の表記の方が発見感があります。

通常「に」は散文になりがちであると言われますが、その理由として「に」を使うとどうしても動詞を書く、もしくは動詞が省略されるためです。
この場合は「ある」「あった」という動詞が省略されるため、散文感があまりなく発見感だけ伝えることができます。
失敗例として、当たり前のことに「に」だけを使うと散文感だけが残ります(「顔に鼻」や「川に水」みたいなの)。

これは、表現なので作者が取捨選択すべきことなので、紹介だけです。

点数: 1

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