「鍋囲む今年は来ぬか会わぬ友」の批評
回答者 なお
東野宗孝さん、こんにちは。
御句拝読しました。こういうお友だちがいらっしゃるというのは幸せなことですね。でも、消息は気になりますね。
御句ですが、いくつかの気になる点があります。
まず一つ目、季語ですが、「鍋」を冬の季語としてお使いですか?
鍋はいかにも冬っぽい題材ですが、歳時記には寄せ鍋や牡丹鍋のように、具体的な鍋の種類しか載っておらず、その意味では鍋だけでは季語にならないということです。
それは、鍋だけでは単なる調理器具で、フライパンや包丁と同じで、季節はないだろうという考え方です。
しかしこれには反論があり、単に鍋だけでは確かにそうかもしれないが、鍋囲むのような場合には明らかに「鍋料理」なのだから、十分に季語の役割をしているのではないか、と、季語と認める向きもあるようです。ですから私はここでは季語扱いとして、「私の歳時記には載っていない」とお伝えしておきます。
次に「今年」ですが、逆にこれは季語なのです。新年の季語として歳時記に載っています。
しかしこれも難しくて、年のはじめに、「今年もいい年でありますように」とか、「今年も頑張るぞ!」とかいう時の「今年」は季語なのですが、単にカレンダー的に今の年を言う時には季語としては扱わない、と聞いたことがあります。本句の「今年」は、新年の意味ではないですものね、ですから季語ではないと。
次に、全体の構成の問題です。
上五で「鍋囲む」、と言っているので、お友だちがいるのだなと思う。
でも中七で、「今年は来ぬか」と言うので、あれ?来ていないの?と迷います。そして下五で「会わぬ友」と来るので「えっ?結局会えないのか?」と、なってしまいます。
混乱させないように少し語順を整えたいです。
鍋は季語として置かせていただきますね。
・来る来ない火をつけず待つ鍋の友
・鍋囲む約束の友待ちぼうけ
・あの友は今年は来るか鍋の会
こんな感じで、色々できるかと思います。長くなりすみません、よろしくお願いします!
点数: 1
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昨年の忘年会で、来年のこの日この場所でと約束をしたが、連絡が取れない。
安否も分からず、不安げに待っている様子を詠んでみました。
喪中ハガキが届く時期ともなると、悪い想像をしてしまうものです。