「朝食にパンのよく出る春休み」の批評
添削した俳句: 朝食にパンのよく出る春休み
なお(旧:なおじい)さんお久しぶりです!
コメントありがとうございました!
相変わらず、優しく・可愛らしい感性で句を詠まれていてほのぼのとします。
『朝』・『パン』・『春休み』いいですね。
この文字面だと、春休みの子の朝食の感想になるので、子とか孫とかいれると、なおさんがこの句に登場するからもっとよくなるなーって思いました。
この句はなおさんの目線が一番ステキだからです。
点数: 1
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添削した俳句: 朝食にパンのよく出る春休み
なお(旧:なおじい)さんお久しぶりです!
コメントありがとうございました!
相変わらず、優しく・可愛らしい感性で句を詠まれていてほのぼのとします。
『朝』・『パン』・『春休み』いいですね。
この文字面だと、春休みの子の朝食の感想になるので、子とか孫とかいれると、なおさんがこの句に登場するからもっとよくなるなーって思いました。
この句はなおさんの目線が一番ステキだからです。
点数: 1
添削した俳句: 春風や工事現場の話し声
『冬蝿』の句のコメントありがとうございます。
提案いただいた句を読んで、『とおざけて』は説明的でもっといい表現があるかもなと思いました。
さて、本句ですが。
草花の恵みを運ぶ『春風』と『工事現場』で、いい家が建ちそうだなー。なんて気持ちの良い春風なんだ!感じですかね。
詩が少ないというか書かれていることのそれ以上でもそれ以下でもないなと感じてしまいます。
原因は『話し声』にあると思います。
『工事現場』とあれば、声がするものだと思います。
声がしないなら描写すべきそんな場所な気がします。
例えば、工事現場の静寂とかですね。
なので、『春風』か『工事現場』をもっと描写する方がいいかもしれません。
例えば、「春風や工事現場のヘルメット」とかですかね。
材料を変えずに詩の量というか読者が想像するための余白を増やすとしたら、こんなのはどうでしょうか。
工事現場をゆく春風の話し声
点数: 2
添削した俳句: 永き日のああコスパとかタイパとか
『冬蝿』の句のコメントありがとうございます。
私が伝わればいいなと思ったことの大体を鑑賞いただけて嬉しかったです。
これはもう私の俳句力ではなくめいさんの鑑賞力のおかげかもしれませんね(汗
過去の嫌な人物って、もう会うこともないのにトラウマになってるのかたまに回想されることがよくある(特に新しいものに触れる際に。。。)ので、それを『冬蝿』の風景と重ね合わせたという感じです。
動かない冬の蝿ですら存在感あるのに、死んでもなお存在感のあるなーと。
能書き失礼しました。
さて、本句ですが。
なんだろう。
不思議な鑑賞になりました。
個人的にはかなり俳諧味を感じました。
この句の言葉全部効いてるんですよね。
しかも、この音数がないとこの俳諧味は感じれないし。。。
詩もちゃんとあると思うし。。。
ホント不思議だ。。。
特に私この『ああ』が好きで。
ここでちょっと笑ってしまったんですよね^^;
・『コスパ』=コストパフォーマンス
・『タイパ』=タイムパフォーマンス(コスパの後出しで、初めてこの言葉聞いたとき、タイパもコスパの一部だろ!って突っ込んだ覚えがあります。)
なので、『コスパとかタイパとか』言ってるから埋めないといけない2音をまた無駄に使っている。
そこから、『コスパとかタイパとか』言ってる人物が明るい時間帯をものすごく無駄にしてるんだろうなーと想像が掻き立てられるからです。
映像がないものはすべて俳句ではないということなら、川柳だろうし。
そうでないのであれば、『永き日』という季語の一側面を描写していると言ってもいいだろうし。
『去年今年貫く棒の如きもの』とあるので、映像を持たない季語の一物仕立てってこんな感じになるのかなとも思えました。
ま。あと一つの読みとして、「永き日なんだからコスパとかタイパとかいってんじゃないよ」という読みもありますけど、そっちの解釈はあんまりだったのでやめました。
なので、個人的には『永き日』を「や」で切りたくなっちゃいます。
個人的には大好きレベルで好きです。
点数: 1
添削した俳句: 地方紙にアスパラくるみ宅急便
コメント失礼します。
これもいい句ですね。
『地方紙』にくるまれたアスパラガスは美味しそう!
包装に使われた『地方紙』にもいいニュースばかりのってるのではないかと思えるような句だと思います。
また、身近な人に送ることがわかりやすい状況だと思います。
ただ、これは好き嫌いの話かもしれませんが、季語「アスパラガス」を略さす書いてほしいなと思いました。
また、「地方紙にアスパラをくるんで宅急便で送りました」をちょんちょんと切って575にしてる感じがするので、『宅急便』のせいで散文の匂いがしてしまってると思います。
他人のためでなく、自分のために『アスパラ』を『地方紙にくる』むことは少ないと思うので、むしろ『宅急便』をなくして、カメラワークをつけたり「アスパラガス」の描写につかったほうがいいのではと思いました。
今コメントを読んで、自分がくるんだのか誰かがくるんだのか問題なのですが、作品としてはどっちでもいいと思いますが、2つ例を挙げておきます。
●自分がくるむ・アスパラガスを描写
地方紙にくるむアスパラガス香る
●相手がくるむ・カメラワークをつける
地方紙の包装を解き(取り)アスパラガス
まぁ。
とにかく地方紙にくるまれたアスパラガスを見て、俳句にできると思ったセンスがいいですよね。
点数: 1
添削した俳句: 仏の座今朝ユータ君死にました
コメント失礼します。
私は、いろんな句柄に挑戦される姿勢好きです。
『仏の座』は、春の七草のひとつ。
日本の本州、四国、九州に広く分布する。
湿地を好み、田を起こす前の水のない田んぼの中や周囲のあぜ道、土手などに多く生える。
また、若い葉を食用とする。
季語『仏の座』と『ユータ君』で、地域で飼っている野良猫(≒地域猫)の死を私は想像しました。
その猫は季語からまだ若かったのかなと感じました。
また、カタカナ表記の名前から、作者はそういう猫がいるということだけしか知らず、自分はその猫の名前を呼んだことがないような関係性のような感じがしました。
その猫が生きている時間が短かったからなのか、それとも作者があまり興味をもてなかったのかはわからないけども。
近所の人から『ユータ君』の死を聞かされてなんともならないような気持ちになる。こんな感じですかね。
ただ、なにかが死んだことと『仏』の字で、起こったことと季語の因果関係を感じるので、傍題の『田平子』を使う方がいいかもしれませんという提案だけしておきます。
点数: 1