俳句添削道場(投句と批評)

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九度山や初柿積まるる朝の市

回答者 卓鐘

添削した俳句: 九度山の柿ふもとから朝市へ

初めまして。

私もイサクさんと同意見で、九度山のふもとの間に柿が入ることで状況がよくわからなくなっていると思いました。

また、「ふもとから朝市へ」は映像というより、感想の説明になっているところも気になりました。九度山を遠景において、目の前の朝市に並ぶ柿を描写する方が句としては良いと思います。「ふもとから朝市へ」という感想は、作者と同じ映像を見せることで感じてもらう方向が良いかと。

点数: 1

「避雷針指すや薄暮の渡り鳥」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 避雷針指すや薄暮の渡り鳥

こんばんは。

言葉にむずかしいところはなく、風景はなくはないのですが・・・

◆「避雷針指す」というのは「避雷針の真上を飛んでいて、避雷針が指さすようだった」という解釈でいいのでしょうか?
 だとすれば、微妙な擬人法が気になる上に、説明的な要素もあり、あまり効いていないような・・・
 他の解釈は思いつきません。
 (最初は「避雷針刺す」と誤読して「工事中?」と思ったのはナイショです)
◆「薄暮の」も、なんだか露骨に風景を足したように見えます。
◆句全体は「避雷針」「渡り鳥」の取り合わせなのですが、???な感じですね。取り合わせならば、季語ではない「避雷針」の描写をするのがひとつの方法論です。
 「指す」は避雷針の行動(擬人法:作句者の目線では)なので、描写とはいえませんよね・・・

・渡り鳥屹立したる避雷針 (薄暮抜き)
・渡り鳥薄暮に起ちぬ避雷針 (十七音の限界近い)
・避雷針薄暮に揺れて渡り鳥

点数: 2

受験の日茶渋の染みたマグカップ

回答者 卓鐘

添削した俳句: 受験生褐色染みたマグカップ

初めまして。

詠もうとした素材はとてもいいと思います。また、努力の跡だと説明せずに、マグカップだけを置いてものに語らせようとした試みも基本に忠実で素晴らしいと思います。また、「染みた」と言うことでしっかりと勉強した内容が染み込んでいることの暗示をしようとした試みもいいと思いました。

「受験生」が少し気になります。自分という感じがしません。とてもよそよそしい知らない受験生を客観的に見ているような。基本的には句の主人公は自分として詠む方が臨場感が出ますね。受験生の子を持つ親の視点でもいいです。
「受験の日」とでも置いてみるとどうでしょう。まさにその日である臨場感が出ると思います。褐色も茶渋と変えて見ました。

何れにしてもいい句と思います!

点数: 1

「落陽の煤散るごとく渡り鳥」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 落陽の煤散るごとく渡り鳥

卓鐘様、「ごとき」「ごとく」の問い合わせへの迅速なご回答、有難うございました。よくわかりました。
取り急ぎお礼のみで失礼します。

点数: 0

「受験生褐色染みたマグカップ」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 受験生褐色染みたマグカップ

こんばんは。はじめまして。

俳句は初めてかもしれませんが、文章には多少のこだわりがあるようにお見受けします。

御句、俳句十七音で「マグカップの染み(コーヒー汚れ)」で「それが(受験生の)努力の跡のようである」まで伝えきるのはなかなか難しいです。
例えば「ノートの染み」など、文房具を持ってくれば、連想で「勉強」⇒「受験生の努力」につながる可能性はあると思いますが・・・

いつも勉強している、ということを暗に表現すれば、「努力」と思ってもらえるかもしれません・・・という提案の句。コーヒーというアイテムをお借りします。

・受験生コーヒー淹れる手の慣れて

点数: 1

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