深緑
作者 あすく 得点 : 1 投稿日時:
「暑い……」
三国文月は、駅のベンチでぐだっていた。薄いTシャツ1枚に、ハーフジーンズというラフな姿。頭の帽子は海外の野球チームのイニシャルが縫い込まれている。
文月の座るベンチから見えるのは、むき出しの改札口とホーム。それらを繋ぐ階段で構成された、凄まじくド田舎の駅。照りつける夏の日差しから身を守るものなど、そこには存在しない。
「屋根くらいつけてくれりゃいいのに」
文月はうんざりしながら呟く。視線の先には、陽炎の立ち上るコンクリートの床面。真夏の太陽光線は、駅のホームで目玉焼きでも焼こうというのか。そんな思考を抱く文月の頭も、容赦なくジリジリと焼かれている。
「あ~」
ずるずると、背もたれの無いベンチの上で真横に倒れていく文月。べったりとベンチに顔が当たるまで横になると、そのまま線路越しに改札口を眺める。無人どころか、遮るバーすら存在しない。早い話、出入り自由。
「これ、改札の意味があるのかねぇ」
「さあね」
文月の独り言に、言葉を返す者が1人。視界に入った長いポニーテールがひょこりと揺れたかと思うと、次の瞬間におおよそ幼馴染1人分の重さが、文月の上に乗っかった。
「しきょーさんや」
「なんだい、ふづきさんや?」
老夫婦を思わせるような言葉。文月はそのまま、暑さにやられたような表情を崩さず、更なる一言。
「超重い」
「ふふん」
若干失礼な文月の言葉を鼻で笑い、ゆっくりと倒れていく、幼馴染こと谷町紫鏡。やはりTシャツに、こちらはやや長めのフレアスカートという、これまたラフな格好の人体が、文月の上に覆い被さるように、横向きに倒れていく。
「いや、それは普通に重いからな。ていうか、離れろ、暑い」
「文月の動きを再現してみただけださー」
紫鏡の体勢は、既にボディプレスの状態と化している。外気だけでも暑いというのに、そこに人間1人分の体温が足し算されると、さすがに暑苦しい。
「汗だくになりそうだ」
「今更ね」
本人も暑かったのか、はたまた寝心地が良くなかったのか、紫鏡は文月の上から体を離す。
「来ないね、電車」
「当たり前だろう。さっき行ったばっかだぞ」
「なんと」
大袈裟に驚いてみせる紫鏡。その仕草が可笑しくて、文月は思わず吹き出した。
ざわざわと風が流れ、周囲の草を鳴らす。その音の中で、2人はベンチから立ち上がった。
「風、気持ちいい」
紫鏡のポニーテールが横に流れる。横髪を手で押さえるその姿を、何とはなしに眺める文月の髪も、風に煽られてボサボサになりつつあった。
周辺の山々から吹き下ろす風は、緑の色に染まっているかの如く。人の営みなど、気にせずに突き抜けていく。そして、バサッという音と共に、文月の視界が真っ暗になった。
「文月ー、何か変な音が……」
紫鏡の振り向く気配と、途中で消えていく言葉を文月が感じ取る。あぁ、これはあまりよろしくない。
「ぷっ、あはははっ。何それー」
「飛んできたんだ」
紫鏡は文月の姿を見て盛大に吹き出した。真横から顔面にへばりついた新聞紙を引き剥がしながら、文月が応える。大笑いする紫鏡に、抗議の視線を注いでみるが、彼女は意に介さない。そして、そんな幼馴染の様子に、まぁいいか、と結論を着ける。手元の新聞紙を丸めながら、文月はあることを思い出した。
「あー、そういやゴミ箱すら置いてないんだっけか、この田舎駅は」
「仕方ないじゃん、田舎なんだし」
「いやまあ、納得する風景ではあるけどさあ……」
人よりうるさい蝉の声。向こうの山まで連なる緑の田。そして何時間も来ない電車。昔ヒットした国民的アニメの世界なぞ、日常に転がっている。
「なんかもっとこう、さぁ」
「こないだ大都会まで買い物に行ったら、人混みに酔って早々に喫茶店に引っ込んでたの、どこのどなたでしたっけ?」
「うっせ」
肩に手を回しながらからかう紫鏡を、暑苦しいからと押しやる。この幼馴染がじゃれてくると、本当に、暑苦しくて、困る。それは、以前から存在する、文月の感想だった。
「さて、そろそろ行くかな」
「あれ、電車待ちじゃなかったの?」
「次の電車は3時間後だ」
文月は、さすがに3時間をこの暑い空間で過ごす気にはなれない。
「そういや行っちゃったんだっけ、ついさっき」
「そういうことだ。それとな」
「ん?」
文月の言葉の不自然な切り方に、首を傾げる紫鏡。そんな彼女に近付いて、文月は自分の帽子をガボッと紫鏡の頭に強引に装備させた。
「わぷっ? なになに?」
文月の唐突な行動に、?マークの紫鏡へ向けて、一言。
「お前が熱中症になる前に、日陰に避難すんの。帽子くらい被ってこいってんだよ、まったく」
「あー、うん」
紫鏡はポカンとしていた。そのうちに文月はスタスタと歩いていき、改札へ向かう階段へ足をかける。ふと振り向くと、幼馴染がまだ固まっていた。
「ほら、行くぞー」
半ば呆れながらそう呼び掛けると、紫鏡は慌てて走ってきた。
「あああ、待って待ってー」
そんなことを言いながらパタパタとやってくる紫鏡。ポニーテールが元気に躍り、そしてその向こうからやってくる、青い影。
「は?」
「え、何? 私の走り方、おかしかった?」
驚愕の表情で指を指す文月に、紫鏡は聞き返す。しかし、文月はそのまま、紫鏡の後ろを指し示した。
「違う、アレ見ろ!」
「アレって、何が……」
紫鏡が振り向き、そのままムンクの叫びのような表情になった。
「アレ、え、嘘? 電車来たよ!?」
「冗談だろ!? さっき行ってから、まだ10分ちょっとしか経ってねぇぞ!」
「でも、あんな色の車両なんて見たこと無いんですけど……」
驚愕のあまり若干言動に支障を来す二人。そんな様子など微塵も気にせず、翡翠の色の車両は、駅のホームへと入ってきたのだった。