深緑の第2話 全4話で完結
深緑の第2話・B
作者 石橋ゲル 得点 : 0 投稿日時:
入ってきた電車には行先が書いてなかった。電光掲示板も、反転フラップの表示板もない。
「変な電車だね、これじゃ次の行先がわからないよね」
紫鏡は何の躊躇なくドアボタンを押した。文月が引き留める間もなく、電車のドアを開いて、びゅう、と冷気が一気に吹き抜けた。
「うひゃ~、ずいぶん冷房が効いてるんだね」
さみぃさみぃと文句を言いながら電車の中へ飛び込んだ紫鏡は、早く入れと言わんばかりにこっちを見ながらその場駆け足している。
「おい、待てよ。これは乗る電車じゃないだろ」
文月は彼女が乗客の迷惑になってないか、気が気でなかった。文月の気もしらず、彼女はポニーテールを横に振り乱し、まるで子供のように無邪気に笑った。
「ううん、これが私たちが乗る電車だよ」
「冗談はよせ、早く降りろ」
何度言っても聞きやしない紫鏡にしびれを切らし、無理やり降ろそうと文月も飛び乗った。
「ふざけんな、早くしろって」
紫鏡の腕をつかみ、引っ張っていこうとするが――
「ドア閉まります」
無情にも目の前で閉まるドア、降ります、と叫んでも遅い、ホームがどんどん流れていく。
「嘘だろ……」
うなだれる文月をよそに、紫鏡のほうはさっさとボックス席でくつろぎ始めていた。
「お前なッ」「しっ!」
文月の怒声は、急に立ち上がった紫鏡がひとさし指で遮った。そして空いた方の手で他の席を指さす。気にもしなかったが、まばらに座った乗客は、みな首をうなだれ、みな眠っているようだった。
がたんごとん、がたんごとん、と電車が行く音だけが響く。
怒る気力が急激にフェードアウトした紫鏡は、文月に向かいあうように腰かけた。
「……どうする気だよ」
「まあまあ、旅は長いよ。気長に行こうよ気長に」
「旅って……」
「あ、もうトンネルだね」
我が道を行く紫鏡に振り回されるのは、今までも何度もあったし、もう慣れていた――だからと言って、いつでも自由にふるまってくれ、というわけではないのだが――今日に至ってもそれが全開なので、文字通り頭を抱えてしまった。
「なんか……疲れた……」
文月は震える声で漏らした。どっと疲れが体中にのしかかってきたような思いがした。
「じゃあ、ゆっくり休めばいいよ」
誰のせいで――そう文月は不満を抱いたが、それが言葉になることはなかった。
瞼が重くなり、急激に微睡みに落ちていった。