「背表紙の嫉妬手に取る春遅し」の批評
春の風花さん、こんばんは。貴句、拝読いたしました。
サイトの仕様上「」が使えない。もどかしいですよね。
ですが、季語
「春遅し」による「暦の上では春なのに、寒くて春の実感は無いわね。
暖かい場所で本でも読もうかしら」との作者心情が伝わって参りましたし、
その実感こそが「嫉妬」という題名の本に目を留まらせた1つの
要因であるのではないか、とも解釈できる句の構造になっておりますよね。
季語「春遅し」の心象と本の題名「嫉妬」が共鳴関係の構造でございまして、
心理的前提条件の共有が成立しております。お上手だなと私めは感服いたしました。
感情の向きを「マイナス」で統一なさっておられるのは、流石は春の風花さん。
元句には大した問題点は無いと私めは構造分析いたしました。
強いて挙げるならば、「取る」は終止形と連体形が同形の動詞。
貴句の文脈では終止形で切れていると解釈するのが妥当ではございますが、
連体形で季語に係っているとの解釈も文法上は可能でして、
そう読まれてしまいますと句としましては損してしまう点でございます。
私めからの添削
提案は、「」が使えないサイトの仕様上の問題点を乗り越えながら、
季語の前で切れている事を明確にするものでございます。
・嫉妬なる本手に取りき春遅し
上記は、元句には無かった直接過去の助動詞「き」の終止形を入れた事で、
元句の大意を変える事無く以下の効果を持たせました。
① :「嫉妬」が本の題名である事の明確化
元句の語順では名詞「嫉妬」が感情なのか、題名なのか、
一瞬だけ多義でございました。
それを所在の助動詞「なり」で本の題名であると明示する事で、
「題名としてそこ(本棚)に在る」が先に立ち上がり、
心象は1テンポ遅れでの立ち上がりになる事も明確になります。
② :動詞「取る」の係りの曖昧さを完全解消
構造的に、動詞が季語に係り様が無くなりました。添削案では助動詞ですが。
そして、「『嫉妬』という題名の本を手に取った」と過去形にする事で
焦点が行為 → 行為を引き起こした心的状態へと移動し、季語「春遅し」の
現在進行形(=現在も続いている感覚)と相まって、行為の原因であり、
余韻として残る様に心理的地層として据え直された事になります。
結果、より季語が背景化、深化されたものとして機能するのではないかと
私めは考えた次第でございます。
推敲や添削の際には「作者コメントを一次資料にして句の核は触らず残す」事が
肝要で、「読解の雑音になる部分だけ添えたり削いだりすれば良い」という事で
ございます。変える必要が無い部分は触らず変えない、と。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
添削のお礼として、みつかづさんの俳句の感想を書いてください >>
図書館に行き歴史ものを探してた時
「嫉妬」の大きな文字が目に留まり、気になり手に取ったという句です。
よろしくお願いいたします。