「八月や伯父の戦死を子ら知らず」の批評
回答者 ヒッチ俳句
こんにちは。
いつも拙句には深い考察を加えて頂き
感謝申し上げます。
本句も同様に深く鑑賞頂き、またいくつかのご提案を頂きありがとうございました。
「これ」につきましては、自分でも悩ましいところでした。
単に「これ」=「終戦日」と読手に読まれるだろうなとは思いましたが、作者の意図は、「これ」の中に色んな想いを込めたかったのです。
勿論、その中には八月十五日が終戦日となったと言う事実も含みますが、祖母が語ってくれた筆舌に尽くしがたい「苦しみ」や「悲しみ」「戦争の悲惨さ」そんなことを
ひっくるめて「これ」に込めたかったのですが、欲張りでした。(笑)
そんなこと読手には分かりませんよね。
御句も、そんな悲惨で悲しい戦争を二度と起こしてはいけないと言うお気持ちを次の世代へ語り継がねばと言う意味の警鐘の句だと拝読致しました。
コメントのご懸念は無いと思います。
身内の事=実体験だからこそ感慨が読手に伝わると思います。
子は、当然作者の子であることは明白。
それに留まらず、広く「次代の子ら」と読むことも出来ます。
意味の深い句だと思いました。
またよろしくお願い致します。
点数: 1
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こんにちは。前句「秋の句をひねる背中に蝉時雨」には沢山のコメントおよびご提案句を有難うございました。皆さん熱心にご指導くださり、とても勉強になりました。お一人ずつお返ししていませんが、この場を借りて心よりお礼申し上げます。
本句は終戦記念日に寄せて。
事実なのですが、悩みどころは、
1️⃣内輪の親族のことなので、外部の方々に感慨が伝わるかどうか。
2️⃣「伯父」は作者の伯父さんとはわかっても、下五の「子ら」は誰の子だかわからないこと(皆さんは誰の子と思いますか?)
3️⃣「戦死」などの措辞が入ると、読み手があまりいい気持ちではないか?
ご意見よろしくお願いします。