「蛇出づや嫌ひなものは嫌ひなり」の批評
この俳句
は、季節感を表現するための「季語
」を用いた日本の伝統的な詩形である、「蛇出づや嫌ひなものは嫌ひなり」。ここでの季語は、「蛇出づ」で、春の訪れを象徴しています。
蛇が出てくるという描写は、新しい季節の始まりと生命の再生を暗示していると思いますが、同時に「嫌ひなものは嫌ひなり」という部分は、人々が蛇を恐れ、避ける傾向がある事実を示しています。これは、美しさと恐怖が共存する自然の中での人間の立場を表現しているとも言えます。
また、この俳句は人間の心情についても考えさせられます。それは「嫌ひなものは嫌ひなり」という言葉から、人々が自分の感情を抑制するのではなく、自然体で自分自身の感情に対処することの重要性を教えてくれます。
この俳句を通じて、自然の中に存在する生命の美しさと恐怖、そして人間の心情の複雑さが巧みに描かれていると感じます。それぞれが独自の感情と反応を持つ生き物として、我々は自分自身の感じ方を尊重し、それに基づいて行動することが大切だと教えてくれる、深いメッセージを含んでいます。
さて、改めましてケントさん、こんにちは。
竜子さんのコメントを拝見しました。
三橋鷹女と同じ感性を持っているとは素晴らしいですね!。
これはもう私とは異次元の素質・センスなのだと思いました(くやしいけどww)。
しかし、『夏痩せて』たとえ身は細ってしまっても嫌いなものは嫌いなのだと
言う強い信念に比べたら、『蛇出づや』の方は、じゃぁ見なきゃいいじゃん!、
逃げればいいじゃんと突っ込めちゃうところが弱いかも知れません。
三橋鷹女の句と比べちゃいけませんけどねぇ。
俳句ってセンスとか才能ってあるのかも知れませんね?。
しかし、そんなことを言うのは20年、30年やってから分かること。
なんていう言葉も聞いたことがあります。
ということで、俳句歴一年余りの私が諦めちゃいかんですよね。
という事であと30年位は頑張ろうかな(笑)。
では、それまでの間、お付き合いの程、宜しくお願い致します。
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それはそれでひとつの人生訓