「カフェテラスパラソル閉じる夏の宵」の批評
回答者 イサク
こんにちは。再訪です。
(先にげばげば様の再訪を読んで下さい)
1.評価の高い過去句とそっくりになるというのは、なぜそっくりになったか他者からわからない以上、【それを自分の句として誇ってはいけない】というマナーというか暗黙の了解があるのですよね。もちろん選者の先生も、気づいたら上位選には残しません。これはもう仕方ないです。
2.実は私も初読で「もうごはん」と読みました(笑)
3.「蝋石に」これは「蝋石で」とするのは説明になってしまいます。「で」を使わない方がいい、とよく言われるのは使い方です。私は無難に「の」と置いてしまうと思いますが、うまく説明できませんが「に」でも意味は通ります。「蝋石に(よって)描く(描かれる)」というニュアンスでしょうか。これは私には出て来ない用法で、この言語センスにはビビりました。
そして本題。
私の掲載句「マロニエの木と~」はそういえば、なおじい様の言う「こういうことはみんな思うよね、それを私が俳句にしたから!」的な考え方の句でした。
なので「一番ダメ」てことはないですよ、と言いにきたのが本題です。
点数: 1
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こんにちは。前句「行く春や悲しい記事」には多数のコメント有難うございました。行く春やという心情を表す季語に自分の心情を重ねてしまいました。
本句は、昨日昼過ぎから夕方までデパートの屋上にいた時の景色を詠みました。
問題点として、
1. カフェテラスは夏の季語のテラス(露台)ではなく、パラソルも浜辺のビーチパラソルではないので、ともに夏の季語にはならないという認識ですが大丈夫でしょうか?
2. 自分ではこれは三段切れではないつもりですがいかがでしょう?
3. 夏の宵が迫ってきたのでもう暑くないから(日光が強くないから)パラソルを閉じる、という因果関係(説明文)にならないようにしたつもりですがなっていますか?
手のかかるオヤジですみませんがご意見よろしくお願いします。