「遠山に重なる低き朧月」の批評
回答者 北野きのこ
添削した俳句: 遠山に重なる低き朧月
ベンさんこんにちは。
句の感想を述べさせて頂きます。
よろしくお願いします。
一読して気になったのは「遠山に重なる月」と言えば月が空の低い位置にある事は読者に既に伝わっていそうだという点です。
わたしは「低き」は省略できると考えます。
もっと踏み込めば「遠山へ朧月」「遠山より朧月」「遠山と朧月」などとすれば遠山と朧月が重なっている光景であると示せる気がします。
「遠山へ月光が注いでいる」というような誤読を呼びそうでもありますが…
言葉を省いて生じた音数で「今年最後の朧月を惜しむ気持ち」を盛り込めないか考えてみます。
遠山へ今年最後の朧月
ストレートですが説明臭いです。
同じ山と月が重なっている瞬間でも、月が姿を現わす瞬間(月の出)なのか、もうすぐ見えなくなる瞬間(月の入り)なのかで印象が変わると思います。
「季節は春の終わり。月が山の向こうに去ってしまう瞬間です」
と描写する事で「春の月は見納めかも」というニュアンスを匂わせる事が出来ないでしょうか。
もっとストレートに季語を「惜春」にしてしまう手も考えました。
しかし「惜春の月」としてしまうと「月が季節を惜しんでいる」という擬人化に見えてしまいます。
季節を惜しんでいるのは月を眺めている人物ですよね。
惜春や遠き山へと沈む月
これだと春の季語「惜春」と秋の季語「月」が独立して読み込まれていて季節感が乱れます。
「惜春」作戦は諦めて…
色々悩んだ挙句こんな所に落ち着けてみました。
遠山へ晩春の月沈み行く
うまく要約できず、だらだらと長文になってしまい申し訳ありません。
以上、失礼しました!
点数: 2