「常に獣を飲まんとして待つ泉」の批評
回答者 ハオニー
想像を描写するのは難易度が高いのですが、挑戦なさったようですね
これは「獣を飲み込もうと、泉は今か今かと待っているに違いない」というおおよその意味なのでしょうか?
その通りだと仮定して説明します
この句は逆転の発想ですね
動物が泉で水を飲む、水浴びするならばいくらでも書けるものです
しかし、泉は静かに待ち構えていると、違う視点から泉を見ています
こういった独特の視点が有利に働いていて、大健闘した句です
季語「泉」が獣を飲み込もうとしているという擬人化は、きちんと機能しています
擬人化は使う覚悟ができていないと大火傷する技法ですが、今回は代えがたい表現となっています
ここまで詰めたのなら、「して待つ」も挑戦してみてはいかがでしょう?
これはなくても伝わります
「常に獣を飲む」のも泉、「待つ」のも泉、擬人化2つは少しキツイかもしれません
まだ「泉」がどのような様子なのかを描写できる余地があります
想像の世界の句の中に、現実の光景がさらりと入れられればかっこよくなるのです
誤読封じの為、飲むは呑むに変えて...
常に獣呑まんと泉ゆらめきぬ
とすれば、「泉が揺らめいているのは、泉が獣を飲み込もうとしているからに違いない」と、そんな想像が出来るだろうと思いませんか?
名詞で終わるのもありですが、動詞で終わると動きに焦点が行きます
強調したかったのは泉そのものではなく、「泉の湧く様子」だったのだろうと私はそう思ったのです
点数: 3
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「泉」は俳句新聞いつき組、昨年7月の兼題でしたね
俳句が万物の命を詠むものであれば、泉は何を喰らい何を飲むのかってね