「人の句は人の子である時鳥」の批評
回答者 松健四歩
添削した俳句: 人の句は人の子である時鳥
こんにちは。
先日の拙句、かたつむり句についてのコメントが気になりましたので再訪致します。
今朝、かたつむりを採取して観察やら実験を繰り返しました。
言うまでもなく、
移動手段として「伸びたり縮んだり」はしておりません、
しかしながら移動中に、あの柔らかな身体を細く伸ばしたり、
また縮めたりはしております。
それは背負っている殻の位置を見て頂くと分かります。殻の位置が身体の中央になったり、後方になったりしております。
拙句の「伸びて縮んで」と言う表現は、その様子を感覚的に表現しました。
動物学的に、かたつむりの歩き方は「伸びて縮むを繰り返して進んでいる」と断定しているわけではありません。
それに、仮に断定的に表現したとしても、
「俳句は文芸ですから。」
このセリフは、あなた方がよく使われるセリフと思われます。
次に、げばげばさんが紹介してくれました下記の句についてですが、
右つけば左もしぼむ蝸牛
/イサク/ポスト秀句
これについても実験を繰り返しました。
胴体側部を細い棒でつつくと
蝸牛はその刺激を感知して当然反応します。身体をくねらせたり、頭をもたげて刺激のある方向を見ようとします。当然身体は色いろと変形します。
しかし、
「右をつつけば左がしぽむ」と言う法則性は何回やっても残念ながら観察出来ませんでした。
このことから、あなたの句も
「文芸の俳句」として詠まれたものと拝察致します。
夏井先生の撰ですから、さすがに佳句とは思いました。
ひとつ残念に思いますのは、
拙句に対し、動物学的なコメントのみではなく、俳句として鑑賞した上での感想がなかったことですかね。
あなたには鑑賞に値しない句であったと言うことですね。
人の句は人の子である時鳥
/イサク
この句の意味が私には未だに
呑み込めませんです。
よろしくお願いします。
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