俳句添削道場(投句と批評)

みつかづさんの添削最新の投稿順の60ページ目

「芍薬やママさんコーラスの楽屋」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 芍薬やママさんコーラスの楽屋

初めまして。みつかづと申します。
貴句、拝読しました。

「ママさんコーラス」で終わっていたなら、「甘やか歌声が春に
奏でられているのですね」と読み解けますが
(漢方薬の芍薬甘草湯の甘さより)、「~の楽屋」とありますので、
「ママさんコーラスの楽屋に差し入れのお菓子があって、
その味の事を表現なさっている句なのではないか?」と、読みを迷いました。

作者コメントより、以下の様に思いました。
・ママさんコーラスは芍薬(暗喩)、ママさんコーラスのごと芍薬(直喩)で
 例えにしてしまう。
・「芍薬の花届く」と仮置きして、ママさんコーラスとは書かないで、
 読者に「ママさんコーラスの事だろうな」と思わせる。

良い案が思い付きませんが、両方を1句に詠み込むには情報量が
多いのではないか?という気が私にはしました。
ご参考までに。

以上です。ありがとうございました。

点数: 1

「花散るや屋根職人の大笑ひ」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 花散るや屋根職人の大笑ひ

再来失礼いたします。
拙句「長閑けしや桜と桃の花に蜂」にコメント、ありがとうございます。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/30146

「写生句の王道」としてのご意見、拝読いたしました。
私の俳句は、客観写生を越えて要素間の相互関係を意識する
「唯物弁証法」的アプローチを試みたものですので、
「長閑しや」、「桜と桃」、「蜂」の多重配置は意図的な構造です。
もちろん、もっとミニマルに絞る方法もあり、
次回以降は「長閑や蜂の羽音に花影」など、要素を削いでみるのも
面白いかと感じました。

ご意見を糧に、今後とも試行錯誤を重ねてまいります。
ありがとうございました。

補足
AIは何でも褒めてくれるとは限りません。
実際、きびしい事を言われております。

点数: 1

「花散るや屋根職人の大笑ひ」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 花散るや屋根職人の大笑ひ

何度も失礼いたします。

ご返信ありがとうございます。
内容を拝読し、幾つかお返事差し上げたい点がありましたので、
大変恐縮ですが述べさせていただきます。

まず、私が『俳句添削道場』に求めているのは「評価」ではなく、
「フィードバック」です。
この違いは、非常に重要ではないかと考えております。

「評価」は句の良し悪しを上下で判断するものであり、
「フィードバック」は作品が持つ構造や表現の特性を解きほぐし、
読み手の見立てや考察を通じて、作者自身の推敲の再考を促す対話です。
私はこの場において、後者のやり取りを望んでおります。
(評価が欲しいのであれば、その様な所に投句している筈ですので)

ところが、鈴蘭さんのコメントには、「この句はここでは評価されにくい」、
「この場に合っていないのでは」という方向性に話が展開されており、
作品自体への具体的な言語的分析や読みの提示はなされておりませんでした。

また、「初歩的な読み方から学んでいる人もそこそこいる中〜」とのご発言ですが、
では「初歩的な読み方」とは、具体的にどの様な読み方を指すのでしょうか?
逆に「高度な読み方」とは何を以て判断されるのでしょうか?
客観的な定義を持たない曖昧なものであるならば、「初歩的な読み」、
「上級的な読み」といった区別を持ち出すことは、鑑賞者の発展の可能性を狭め、
場の開かれた対話性を損なう可能性があるのではないかと、私は危惧しております。

さらに言えば、『俳句添削道場』には写生句だけでなく、
観念的・実験的な句も多数投句されています。
ですので、「この句は思想が前に出過ぎて読み切れないだろう」との
ご判断であれば、個人の読みの限界を場の限界と取り違えている様に
私には思われます。

作品を「読み切る」こととは、「作者の意図を一意的に解読すること」ではなく、
句の中に含まれた構造や象徴、語法の作用などを読み解いていく営みです。
読者は主観的な追体験を試みる以上、そこに正解・不正解は無い筈です。
俳句という極めて短い短詩表現においては、なおさら「一読で理解されるものしか
読まれない」という前提を置くこと自体が、表現の幅を狭めてしまうのではないかと
私は危惧しております。

なお、ご自身の句についてのやりとりで、他者からの意見を受け止め、
作品を改めたご経験をお持ちのことと存じます。
そのお姿は素晴らしいと私は思っております。
であればこそ、他者の句に対しても「分からないから遠ざける」のではなく、
「分からないなりに言語化してみる」姿勢を共有いただけたらと、
私は願っております。

この道場は、異なる視点を持つ人同士が互いに切磋琢磨できる場であると、
私は信じております。
その前提のもと、作者も読み手も問いを交わしながら、
自由に思考を深めていければと存じます。

以上です。長文失礼いたしました。

点数: 1

「庭仕事BGMは蜂の声」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 庭仕事BGMは蜂の声

初めまして。みつかづと申します。
貴句、拝読しました。

蜂の音ではなく敢えて「蜂の声」となさった背景を、私なりに考えてみました。
蜂の声(羽音)→「声無き蜂の声」
・作者が気付くと、アシナガバチの新女王候補、スズメバチの新女王候補が
 来ていた→彼女達:「ここに巣作りしてもいいかしら?」
作者の内心:(蜜を吸うのは構わないけど、巣作りされるのは困る…)
(※ 越冬後の体力回復の為に花の蜜を飲みに来た可能性もあります)

・作者が気付くと、そこには花蜂の働き蜂が来ていた
 →彼女達:「ここにあるお花の蜜や花粉、頂きま~す」
作者の内心:(どうぞ。後で水撒きするから、それまでに済ませてほしいな…)
(※ 水を取りに来た可能性もあります)

ウッカリ巣に近付いて、スズメバチに顎をカチカチ鳴らされたり、
アシナガバチに羽音をブンブン鳴らされたりして威嚇される様な
時季ではありませんので、それを踏まえますと、
作者にとっては不快な音ではなかったので、音ではなく「声」なのではないか?と、
詩的表現としてあるのではないか?と、私は思いました(BGMの表記も含めて)。
あくまでも一意見(感想)として。

以上です。ありがとうございました。

点数: 0

「春蜂の墓石の縁に遊びけり」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 春蜂の墓石の縁に遊びけり

こんばんは。貴句、拝読しました。

ニホンミツバチ、墓石の下などに巣作りする事多いですよね。
オオスズメバチなどの捕食者が入れないからでしょうけど。

「実際には蜂は遊んでいない」
それを理解しながら、敢えて遊んでいるという措辞になさったのが、
「蜂の命と人の魂の絡み合い」の作者の感慨なのではないか?と私は思いました。

昨今の風潮として蜂、特に狩り蜂(都会適応型のスズメバチ、アシナガバチ)は
悪者扱いされる事がありますが、貴句の命への慈しみは俳句の枠だけにとどめず、
「蜂を知りたい者、関わる者」として考え方にしっかり刻みたいと私は考えます。

ありがとうございます。

点数: 1

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