「朝の香をひとつまみほど木の芽和え」の批評
回答者 みつかづ
添削した俳句: 朝の香をひとつまみほど木の芽和え
凡さん、こんばんは。貴句、拝読いたしました。
前句と作者コメント、添削コメントを拝読して私めが考えた事。それは
「風の香をひとつまみ」の措辞は暗喩(例え)になっていますので、
季違い(四季が異なる季語の重なりを特に「季違い」と呼んで区別します)よりも
「暗喩の部分が何の例えなのかが分からない」
(=季語「木野の芽和」との結節点が無い)のが本質的な問題点という事です。
今句は下五に季語の位置が変更され、季語「風の香」は無くなっていますが、
それでも少し疑問点が残っております。
「朝じゃないとダメな理由はあるのだろうか?」
「前句の作者コメントとの関係性から、作っている場面ではない筈。
けど、ひとつまみは少ないとは言え、試食の場面も作っている場面も無くは無い。
そう読まれると句として損ではないか?」
そこで、私めからの添削案は「欲望を具体化してさらに季語を立てる」ものです。
・香に負けてつまみ食いする木の芽和
つまみ食いですので、間違い無く作者の「食欲」は存在しており、
スーパーの試食コーナーではなくなりますし、
「ひとつまみほど→つまみ食いする」の変更により、作者は間違い無く食べてます。
それも、ひとつまみとは限らず、もっと食べているかもしれません。
つまり、作者は負けた訳ですよ、木の芽和えの美味しさ、香りの誘惑に。
それを句面に書いてしまいます。そうすると生々しさ出ますでしょ?
この生々しさと季語のぶつかり合いこそが、季語「木の芽和」を
さらに輝かせるパッキングになる訳です。
そして、そこに「世界にたった1つしか無い作者だけの感動」の詩が宿ります。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
点数: 1
