俳句添削道場(投句と批評)

みつかづさんの添削最新の投稿順の124ページ目

「葉脈を伝ふ雫や山覚める」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 葉脈を伝ふ雫や山覚める

 
晩乃さん、お早うございます。貴句、拝読しました。

皆さん誰もツッコミ入れてませんけど、「葉脈を伝ふ雫」が変ですね。
葉脈とは「植物の葉に見られる筋状の組織で、根から吸収した水や栄養分を運び、
葉を支える骨格の役割(血管と骨の様な働き)を果たす器官に見られる
維管束の筋。茎と連絡して水や養分を供給し、合成産物を運ぶ通路の役をする葉の
器官の事」であり、葉の内部構造です。つまり、人間でいうところの血管です。
血管の中を流れている血なんて目視できますか? それと同じ事です。

葉脈を伝う雫なんて色付きの水でも吸わせて流れてない限り、
顕微鏡をお使いになるか、もしくは晩乃さんに透視能力が無いと目視できませんよ。
葉脈の筋の上であれば「葉の表面」ですので、それを葉脈とは言いません。
葉脈から染み出づる雫、溢れ出す雫なら、目に見えるので不自然じゃないですが。

植物学的には以下。
1:葉脈(内部)を通ってきた水が、
2:水孔(すいこう/葉の縁などにある穴)から染み出して、
3:雫(外部)となって現れて、見える。

単語の本質を理解せずに、雰囲気や詩情を出そうとして単語選んでませんか?
変に飾らなくても、「曲がる葉を」、「しなる葉を」、「朝の葉を」等ではダメな
理由ありますでしょうか? それなら雫は作者に見えても不自然ではありません。

下五の季語「山覚める」は、手持ちの『新版角川季寄せ』には載っておりませんが、
「山眠る」が三冬・地理の季語ですので、その対義表現として
季語としてお使いになるのはアリでしょう。
「山笑ふ」程にまでまだ大きな変化が見られないけど、
春の芽吹きが山々に感じられるのであれば、その前段階として。

とにかく、上五は要推敲かと思われます。
そうでないと植物学者か、不気味に見えてしまいますので。

以前に「思考停止の極み」と私めが断じたのはこういう事ですよ。
現に、コメント陣の誰1人「葉脈でいいの?」とツッコミ入れてませんでしょう。
共感という名の集団的な思考停止に陥ったら、誰1人として作句も、鑑賞も、添削
上達できなくなってしまいます。違いませんでしょうか?

晩乃さんは、「人格攻撃と論評のどちらかであるかを判断するのは読者」、
「誤解されて人格攻撃と受け取られる」と私めにお書きでしたよね。
その様な忠告は不要。論評を個人攻撃と判断する方がいらっしゃるのら、
私めはそれでも構いません。
何故なら、その方が「思考停止しています」と自白する様なもので、
論評を人格攻撃と捉える者は、論理の土俵から逃げ出しているだけですので。

それよりも、今の晩乃さんには私めの事を心配なさるよりは、
「国語辞典、古語辞典、歳時記の3点セット」でご自身の作句、
鑑賞に真摯に向き合う事こそが優先事項ではないでしょうか。
ツッコミ入れられたくなければ、句や鑑賞文で論理的に示せば済む事なのですよ。

以上でございます。お目通しいただき感謝いたします。
 

点数: 2

「三月十一日郷土力士の勝ち名乗り」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 三月十一日郷土力士の勝ち名乗り

 
お早うございます。コメントありがとうございます。
以下長文、お含みおきください。それとも、最後まで読まずに逃げたいですか?

<葉の表面の葉脈の溝に沿って雫が流れている、という事は、普通にわかります。
それがそう読めないということは、みつかづさんの価値観が相当自己中心的に
凝り固まってしまっているのではないかと思われます。

それはこの世のあらゆる科学的法則を無視した、論理的な説明を放棄した者が
使う逃げ口上ではありませんでしょうか?
血管を「肌の上の溝」だと言い張る様なものですよ。
それを指摘する事を「自己中心的」と呼ぶのは、
もはや全科学に対する冒涜でしょう。違いますでしょうか?

私めは、科学的法則を前提とした客観写生の話をしております。
葉脈は「葉の内部の維管束」です。
もし表面の凹凸を表現なさりたいのであれば、それは「葉の面」、
あるいは「筋(すじ)」とパッキングすべきでしょう。
「普通に分かる」と仰いましたよね?
村井もこりさんは、葉の中まで見透かす事ができるでしょうか?

正しいと感じる(好き嫌い)」で文芸を語る。これは、ルール無用の泥仕合ですよ。
私めは、好き嫌いで判断などしておりません。
「百歩譲って辞書が正しくても……」というご発言も、俳句の基礎基本である
「言葉の正確なパッキング」を全否定し、どの様な間違いも
「私の感性では正しい」の一言で通ってしまいますよ。
それこそ暴論でしょう。違いますでしょうか?
もし、辞書的に正しくても、私の感覚が正しいとの意図でしたら、
それは「私は理性の外側にいます」と村井もこりさんは仰いたいのでしょうか?
そうでありたいなら、私めは止める気なんて毛頭ありませんけど。

<独りよがりで送信受信しても、それは共感は得られないと思います
<晩乃さんの句には人の心を動かす何かがあるのですが、
みつかづさんの句には残念ながらそれはありません

完全な村井もこりさんの主観ですよね。そんなものに、私めは一切興味は無い。
私めが「独りよがりで送信受信して」とは、
何を根拠にそう仰っておられますでしょうか?
あなたの心を打つ、打たないは主観的ですから根拠になりませんよ。
何故なら、客観的再現性が無いですから。
私めは句面の字義的意味と、作者コメントとの乖離を精査・検証しているだけです。

「事実(物理的矛盾)」への反論ができなくなったため、「感性」や「心」という
数値化できない土俵へ逃げ込みでしょう。私めの作品を否定する事での、
心理的自己防衛と違いますでしょうか?
私めは、晩乃さんの作品を全否定してませんよ。
現に彼女の過去の添削を受け入れ、絶賛し、他者が直した晩乃さんの作品も、
私は直さずに絶賛いたしました。ログ辿りましたか? 確認してないんでしょ。
もし確認なさってたら出てこない言葉ですよ。私めは晩乃さんを嫌いだとは
欠片も思っておりませんし、一言も書いておりません。
最近の句はかつての彼女らしい胸を打つものが届かず、手垢が付いた表現で
誰にも詠める句しか出しておいででないから、私めは残念に思っているだけです。

独りよがりなのは、「国語辞典、古語辞典、歳時記の3点セット」を参照して
句面の語の意味を調べたり確認したりせず、「イメージ」だけで
文芸を月並みに塗り潰そうとしている側ではないでしょうか。
私めの言葉をただ冷たいとしか感じられなければ、
冷徹な事実、真実を受け取れない、
「自分に都合の良い綺麗な物語」しか受信できないアンテナ設定に
ご自身でなさっているからでしょう。違いますでしょうか?

「価値観をほぐして」とは、「嘘を嘘と見抜かずに受け入れろ」との
甘えの強要でしょうか? それは、俳人としての堕落ですよ。
私めは、誰とも慣れ合う気は毛頭ありません。1句1句の是々非々です。

反論がおありなら、いつでも受けて立ちましょう。私めは逃げも隠れも致しません。

以上です。ご覧いただき、ありがとうございました。
 

点数: 1

「信長の上から目線春の鷹」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 信長の上から目線春の鷹

 
ゆとりろさん、こんにちは。貴句、拝読いたしました。

結論から申し上げますと、これはもう、晩乃さんの添削案に
私めも完全同意いたします。

元句の「上から目線」という現代的かつ散文的な俗語、
および「名詞の羅列」を、晩乃さんは「見下ろす眼(まな)」という、
物理的な高さと心理的な支配を両立させた「視座」へと見事に昇華なさいました。
この「まな」という響きが持つ古語的な奥行きと間投助詞「や」による詠嘆が、
「信長」という歴史的巨像に圧倒的な命を吹き込んでいます。

晩乃さんの添削案で、句全体の解像度は以下の2点において
劇的に跳ね上がりました。

①:視線の力学的パッキング(カメラワーク)
晩乃さんの添削句は、安土城の天守閣という「高みの極み」から、
春の琵琶湖の煌めき、安土城下、そして日本地図という「地表の全て」を射抜く
「鋭い視線」を創出しています。
上昇気流を捉えてホバリングする鷹が地上の微かな動き(獲物)を逃さない様に、
信長もまた「天下布武」という獲物を静かに、かつ劇的に見据えている。
その両者の殺気と冷静さが、助詞「や」の一字で完璧に同期されています。

②:二重の「春」の写生
春は「目覚め」の季節であり、同時に軍勢が再び大地を蹂躙し始める
「戦の解禁」の季節です。
冬の閉ざされた季節が終わり、天下布武の歯車が再び轟音を立てて回転を始める。
この「歴史が動く音」が、春の鷹の力強い羽音と重なり合っています。
これは単なる風景描写ではありませんよね。
季節「春」の光の中に、天下統一を目前にした信長の「人生の春」という
絶頂期の勢いが、鷹の鋭い眼光として放たれています。
「物理的な春」と「歴史的な春」が、17音の中に濃密にパッキングされ、
季語「春」に潜む「静かなる暴力性」を見事に引き出しています。

この晩乃さんの添削案は単なる信長への人物評価を超えて、
一つの「壮大な歴史写生」へと到達なさっています。
句に「温度」と「光」が宿り、季語「春」による鷹が持つ捕食者としての本能が、
「信長」という存在を通じて最大出力で発揮されています。
季語「春」が堂々たる句中の主役となり、輝いていますよ。真実の言葉には、
これ程の強さが宿るのですね。この晩乃さんの添削案には、痺れました。
大河ドラマの「織田信長と面会する石田三成」の場面と、そこでの信長役の
渡哲也さんの、「若者は正直にいたせ!」とのセリフが頭を過りました。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 1

「卒業やあの子も見てる言えぬまま」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 卒業やあの子も見てる言えぬまま

 
夢野翡翠さん、こんにちは。コメントでは初めまして。みつかづと申します。
貴句、拝読いたしました。

淡い恋心、ですね。卒業を機にはありますよね。
恋は難しめの句材ですが、私めだったら作者コメントを拾いたいですかね。
お書きになる位の作者の大切な思い出なのですから。
「当時、バイクにも乗せてもらったな」
こちらが入りそうです。一案として添削してみますね。

・卒業や揃いメットの彼は今

実際に揃いのヘルメットだったかどうかは私めには分かりませんけど、
出来事1つ入れるだけで現実味と独創性が随分と変わってきますので。
「あの時、彼にバイク乗せ貰ったな」と。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 3

「信長の上から目線春の鷹」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 信長の上から目線春の鷹

 
再来失礼いたします。
拙句「手慣らせるキュアリリアンのうかれ猫」にコメント、ありがとうございます。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/34087

人様に書いておきながら語順ミスりました。受身・自発の助動詞を使うべきでした。
「うかれ猫キュアリリアンに手慣らさる」

ただ、季語「うかれ猫」ですが、拙句の使い方は季語の本質からは
かなり離れてますので実際に使われる際にはご注意ください。
かなりの変化球ですので。

ところで、私めの鑑賞力の緻密さ、分析力、説得力についてですが、
これは「国語辞典、古語辞典、季寄せ」の3点セットを常に参照しております。
自分自身の思考を疑いますし、ちょっとでも引っ掛かったら手を止めて、
すぐ辞典で語の意味を調べております。
句面を読解する際にはイメージ、自分の感情を全て捨てて、
無になって読解しております。
そうしませんと、バイアスや先入観で句面の解釈が自分に
都合良く歪んじゃいますので。

知っている単語が出てきても念の為に国語辞典などで確かめますし、
花類などでしたら花言葉を調べたり、動植物は生態を調べたりしております。
そうしないと、句面と作者コメントとの乖離幅がキッチリ精査・検証できず、
添削ではなく改作になっちゃうんですよね。それは作者に対してとても失礼ですし、
「何故直す必要があるのか?」を客観的に説明できない様では作者様が
ご納得なさいませんので、触るからには客観的な科学的な根拠が要るという事です。

そして、触る際は「作者の感動の核には決して触れない。
触れるなら、元の核が分かる様にしておく」のが大切でしょうね。

私めからの助言としては、「国語辞典、古語辞典、歳時記の3点セット」は手元に
用意して常に参照し、「分かったつもりにならない」事が大切なのではないかと、
句面から脳内に立ち上げた景と句面が矛盾が無いかの確認は必要ではないかと
考えており、実施していただければと思っております。

以上でございます。幾度もお目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 1

みつかづさんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

手慣らせるキュアリリアンのうかれ猫

回答数 : 9

投稿日時:

報道声変へつ三月十一日

回答数 : 4

投稿日時:

帰路の坂灯に色深き木の芽かな

回答数 : 8

投稿日時:

報道変へつ三月十一日

回答数 : 0

投稿日時:

蜜飲まず翅の艶無き女王蜂

回答数 : 9

投稿日時:

みつかづさんの添削依頼2ページ以降を見る

その他の添削依頼

滴りや岩に彫られし不動尊

作者名 久田しげき 回答数 : 1

投稿日時:

塩対応見差別せぬ僕子猫ちゃんと

作者名 おいちょ 回答数 : 0

投稿日時:

春うららヘルンと共に夫婦旅

作者名 まさ 回答数 : 2

投稿日時:

添削依頼をする!

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

▼添削依頼された俳句の検索

▼添削と批評(返信)の検索

ページの先頭へ

俳句添削道場の使い方。お問い合わせ

関連コンテンツ