「薊には妹いるらしタムラソウ」の批評
回答者 辻 基倫子
めい様
御句、薊と田村草、という季節の違う植物を取り合わせている意欲的な句ですね。「田村草」は、血縁の中でも、「妹」の位置づけなのですね。では薊は「姉?兄?」
私の中では、二つはちょっととげのある姉妹、二人ともチョイギャルっぽい、というイメージです。とても楽しめました。
ところで、私の「ポケットは」の句に楽しい解釈をしてくださってありがとうございます。何度も読んでくださった、とのこと、心から嬉しいです!
「ことばの岸辺」には主体のないコトバの波がひたひたと押し寄せているイメージを託しました。そのような、ちょっと前なら異常に感じられる事態が、今や日常の一コマとしてポケットに収まっていることに、ふと違和感を感じている、そんな句です。ドラえもんも、登場したばかりの時はだいぶ違和感のある存在でしたでしょうが、今や街のどこかでその面影を見かけても誰も驚かない存在になりましたね。それは、主体のないコトバが広大に広がりつづける世界と同じなので、めい様は私の気持ちをしっかり受け止めてくださったのですね!
点数: 1
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季語はあざみです。妹は いもと と読んで下さい。
タムラソウは、あざみに似てるけど棘はありません。タムラソウも季語なんですが、こういう使い方は、できますか?