「境内の朱塗りを囲む木の芽かな」の批評
回答者 みつかづ
添削した俳句: 境内の朱塗りを囲む木の芽かな
再来失礼いたします。
揶揄とは「からかう事。なぶる事。嘲弄」を意味する名詞です。
つまり、揶揄は人格攻撃の一種。
私めがコメント陣に対して発しているのは「論理的批判・批評」です。
人格攻撃(人そのものへの攻撃)と論評(発した言葉の内容の良し悪しへの言及)は
全くの別物です。
「何処の神社だろうか?」、「どの様な木なのだろうか?」、
「作者は何に感動しているのだろうか? その核は何か?」。
他者様のコメントに、それを問うたものはありましたか?
考えなければ出せない問いでしょうよ。違いますか?
朱と緑の対比が美しいだなんて誰でも言えるでしょう。手垢付いてます。
そこから先の思考の跡がコメントからは全く見えないんですよ。
慈雨さんが少し突っ込んだ以外には。
なので、「思考停止の極み」とありのままを書いたまでです。読解の解像度が低い。
誹謗中傷(根拠の無い悪口を言いふらして、他人を傷つける事)は人格攻撃。
根拠なら、数々のコメントが思考停止の極みの動かぬ客観的証拠に
なっているではありませんか。何故なら、独創性が無い句面に対して
問いが一切無いので。思考停止でないなら、何等かの疑問が湧くでしょう。
独創性の有無を思考した形跡は何処にありましょうか?
好き、嫌いは思考ではなく、ただの感情発信という反応です。
それに、私めが誰かを誹謗中傷する事で、誰の何の得に、プラスになりましょうか?
ならないではありませんか。
「盲信するのは良くないですよ」、「考えないのは良くないですよ」、
「イメージだけで語るのは良くないですよ」、「妥協は良くないですよ」、
「馴れ合いするだけでは作句も鑑賞も添削もなかなか上達しませんよ」と、
「そうではありませんでしょうか?」と、暗に私めは問いを発しているのです。
道場という鍛錬の場において、何方かを誹謗中傷などしている暇など
誰にもありませんでしょう。その様な行為は時間の無駄でしかありませんので。
以上です。幾度もご覧いただき、ありがとうございました。
点数: 2
