「春深し塀にポツリと落ち椿」の批評
回答者 みつかづ
添削した俳句: 春深し塀にポツリと落ち椿
めいさん、こんばんは。
拙句「花見ゆる河内堅上発ち西へ」へのコメントありがとうございました。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/24739
あまりにも知名度が低過ぎる土地の固有名詞ですので、旧国名の「河内」をそのまま入れて「大阪府の東側」とザックリほのめかしましたが、「読者に寄り添えていない」という所をご指摘なされたのは、流石お三方と思いました。
さて、貴句を拝読しました。
景がパッと目に浮かびます。キレイな景ですよね。
次に、「落ち椿」も季語ではありますが、この季重なりは問題にならないと私は思います。何故なら「塀の上にあるもの(物体)」としての描写ですので、映像を持たない「春深し」でもこちらに作者の感動はあると、読者は読み解く事ができます。
ただ、このままでは読者はフラフラと読みを迷ってしまうのではないか? 場合によっては誤読するのではないか?が懸念されます。
それは、「プラスの意味」で作者が感動なさったのか、それとも「マイナスの意味」で感動なさったのか、季語「春深し」では読者側の視点ではハッキリ分からないという点です。
作者コメントにお書きの「憐れ」という単語の意味がとてつもなく幅が広い上に、上五が文語体から始まっていますので、読者は寧ろプラスの印象で受け取ってしまいがちかと思われます。
どちらかへホンの少し読者の動線を導かれると、誤読は無くなりそうです。
具体的には、マイナスの意味での感動の場合はケントさん、竜子さんの提案に私も賛同致します。他には「菜種梅雨」等の季語がありそうです。
プラスの意味での感動の場合は「風光る」、「清明」、「夏隣」、「初虹」、「磯遊び」等の季語がありそうです。
めいさんの持ち味は「情感の豊かさ」にあるのではないかと私は思っており、「めいさんの世界」へ、読者の背中をホンの僅かに押してくだされば、読者は迷い無くその世界へ飛び込んでいけるのではないかと、私は思っております。
点数: 1