「水の秋砂の器に消えにけり」の批評
再訪です。
文字というものは感情が伝わらずどうしても冷たくなるものです。
そのうえで決して叱っているわけではないということを表すために「申し訳ない~助かります」という言葉をつけたのですが、伝わっていないようで残念です。
俳句の学び方は人それぞれなので、ケントさんのやり方を否定はしませんが、句意が伝わらなければ感想自体も言えないというのも事実だと思います。
何かしらヒントとなるワードを書き込んでいただければ、こちらも助かると言いたかったのです。
「水の秋」という季語ですが、歳時記などにそのような説明が載っていたのなら申し訳ないですが、私は「水の澄み渡る秋」という解釈です。
「秋の澄み渡る水」という意味にしたいのであれば「秋の水」または「水澄む」という水に焦点が当たった季語の方が良いのではないでしょうか。
「水の秋」はあくまで秋に焦点が当たっているように感じられるので。
「砂の器」は砂の水たまりを表現したかったとのことですね。
俳句は情景描写なので、捻った表現はあまり好まれません。
また、ケントさんが詠まんとした情景は思いが入り込みすぎて俳句にするには容量オーバーなように思えます。
・『砂の水たまりに秋の水消えゆく』
切れを作らず、最後を字余りにしたことでゆったりした感じを出しました。
水たまりの水は「秋の水」という季語の本意からズレている気もしないでもないですが、ケントさんの詠みたかった光景には近づいたと思います。
俳句は「語らない芸術」だと思うので、これくらいの余情を残して、あとは読み手に綺麗な光景だなと思わせるのが大事です。
長文失礼しました。
今回、私の文章力の拙さでご不快な思いをさせたこと、申し訳なく思います。
どうしても冷たく聞こえるかもしれませんが、私は叱ってもいませんし怒ってもいませんので、お気になさらないでください。
これからもよろしくお願いします。