「菊の香や遠き記憶の蓋を開け」の批評
回答者 つちや郷里
添削した俳句: 菊の香や遠き記憶の蓋を開け
もんなさんこんばんは。
御句
こういう句も悪くはないと思います。
芭蕉の句にも「さまざまの事おもひ出す桜かな」というものがありますので。
ただ、御句の場合、具体的な内容を書いた方がいいような気もしないでもないです。
違いを説明するのは難しいですが、御句は「香」「記憶の蓋」という、やや曖昧な表現が目立つので、そう思ったのかもしれません。
芭蕉の句の方は「思い出す」と言い切っていること、「桜」という明確な映像、「かな」という優しい詠嘆が効いているからこその名句なのだと思います。
季語が動くか動かないかについてですが、私はあまりこの議論をするべきではないと考えています。
作者にとって、その季語が記憶を呼び起こす鍵だったり、その季語に並々ならぬ思いを抱いている可能性があるからです。
あるいは単純に実景を詠んだ際に、その場にあった季語であるなら堂々とその季語を使うべきです。
ただし、あまりにも合わない季語だった場合は、他の季語を提案することも時には必要かと思います(作者が何故その季語を使ったのかを考える「鑑賞」も忘れずに)。
参考までに、プレバトで千原ジュニアさんが詠んだ「雪吊や登校拒否の吾と祖母と」という句を勝手ながら紹介させていただきます。
この句は記憶・思い出を詠んだ句ですが、具体的な内容を描いています。
季語を動かそうと思えば動かせる句ですが、不登校児だった作者は、支えないと雪の重みで折れてしまう木と、支えがないと生きていけない自分を重ね合わせており、なおかつ祖母と実際に見に行った実景でもあるので、「雪吊」という季語は動かすべきではないと思います。
これは私の解釈であり、絶対に正しいわけではありません。いろんな人の意見を参考にして、最終的な判断はご自身でお願いします。
長文失礼しました。
またよろしくお願いします。
点数: 5