「餃子屋の赤き看板昼暑し」の批評
回答者 独楽爺
添削した俳句: 餃子屋の赤き看板昼暑し
こんばんは。
良いですね。情報量のバランスが取れてすっきりしていますね。赤き看板に目を付けられたのが良いです。暑しと響きあっています。
このままいただきです。
点数: 0
回答者 独楽爺
添削した俳句: 餃子屋の赤き看板昼暑し
こんばんは。
良いですね。情報量のバランスが取れてすっきりしていますね。赤き看板に目を付けられたのが良いです。暑しと響きあっています。
このままいただきです。
点数: 0
回答者 独楽爺
添削した俳句: 初めての赤紫陽花に続く道
おはようございます。
はじめての「赤い紫陽花」と「道」と素材が揃っていますね。問題はこのふたつをどう関連付けるか。
答えを言いますと関連付けるのはあくまでも読者の想像の中で、詠み手は舞台を提供するのみにとどめるということだと思います。続くはカットします。
"初めての赤い紫陽花道一つ
何を言っているのかわかりませんというコメントを良く見かけますが、それはそれで貴重な意見と受け止めるも、基本を変えないことでしょうか。
句の意図を汲むのは作者と読者の共同作業ということ。
よろしく。
点数: 1
回答者 独楽爺
添削した俳句: 夜の庭花火をとばすシャツの祖父
はじめまして。
シャツの祖父は面白いですね。昭和生まれのおじいさんにあるあるという風貌です。
気になる点は「とばす」です。
おじいさんがまず花火を手にした。そして花火を飛ばしたたという情景の一連の動きが想定されます。
さて、俳句はその動きの何処までを表現すのが良いのか。
答えを言いますと、飛ばすは言い過ぎ、そこは読者の想像に託す。手にするまでが詠み手、後は読者に託すというのがおすすめしたい方法です。
"夜の庭花火を手にしシャツの祖父
後半は祖父の動作の描写にとどめ、その祖父が一体何をやらかすのかなと、読者の期待の気持ちをそそります。
よろしく。
点数: 1
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