「滝道や言葉ほとばしらせ詠う」の批評
回答者 はや
添削した俳句: 滝道や言葉ほとばしらせ詠う
「滝道」って歳時記に載ってたけど解説がなくて、広辞苑にはそもそも記載がなくて、ネットで調べたら「滝の道」って。いやだから「滝の道」って何⁉ということであれこれ調べたら、「滝に続く道」という意味で使われてそうですが、合ってますかね…。ということは、目の前に滝がない場合もあり得る、ということでいいでしょうか。
すみません季語からつまずきました…。
あと俳句は一人称、それは分かってはいるんですが、「言葉ほとばしらせ」がどうしても自分のことを表している言葉には思えないんです。第三者的視点というか。
それでもしかしたら「言葉ほとばしらせ詠う」のは詠み手じゃなくて「滝」そのものなんじゃないかな…と思ったのですが違いますかね。
滝に向かう道を歩いている。滝はまだ見えないけれど、音は聞こえてくる。その音は滝が言葉をほとばしらせて詠っているようだ。
というかんじ。
滝の音には何か訴えかけてくるようなものがあると感じますが、それを「詠う」と表現したのでしょうか。滝の音に耳をかたむけると心地よいのはそういうことだったのか、と妙に納得してしまいそう。
勝手な解釈ですが、私はなんだかすごい句だなと思いました。全然違ってたらごめんなさい。
点数: 1