「夏深し縁石を行くゴム草履」の批評
回答者 なお
こんにちは。はや様、いつもお世話になってます。
御句拝読しました。数日前から一覧に載っているのは認識していたのですが、またもや私の頓珍漢な思い込みで、反応が遅くなりました。
すみません、縁石を勘違いしていました。縁石って、歩道脇にある少し高くなっているあれですよね。
私は愚かにも、縁側から庭に降りる時に、そのままだと段差があるので、足を乗せる大きな石が置いてあったりするじゃないですか。アレかと思いました。アレだとすると、「ゴム草履が行く?よくわからない」と、勝手に誤解して後回しにしていました。反省です。
あらためて御句拝読しました!
私も、子もそうしましたし、今は孫がそうしていますよ。ゴム草履は季語にしましょう!これって、「靴」ではつまらないですよね。季節感もさることながら、日常感、気楽な思いつき感とかが出ていていいです。
ゴム草履を季語にするとなると、夏深しは置き換えられるので、どうしましょう。
・偉そうに縁石を行くゴム草履
・得意げに縁石歩くゴム草履
悪くないと思うのですが、自分以外の人物を偉そうとか得意げにとか勝手に決めていいのかなとも思う。でも自分の子どもだからいいのかなとも。
そこで、
・落ちさうに縁石を行くゴム草履
・縁石に腰掛けさうなゴム草履
こんなのも考えてみました。
点数: 2
添削のお礼として、なおさんの俳句の感想を書いてください >>
吾子(2歳)、縁石を見たら上を歩かずにはいられないお年頃です。立ち止まったり戻ったり、付き合うこっちはなかなかしんどい。でも数年後に振り返ったらいい思い出かも!と思って俳句にしてみました。
「ゴム草履」は季語なのか、調べても明確に判断できませんでした。季語っぽいけど。「小さき靴」の方がよかったんでしょうか。
延々と縁石行きて炎天下
なども考えてみましたが、「えん」の繰り返しがさすがにしつこいかなと…。