「ちらしの裏にもちらし」の批評
鷹司晶子さん、こんにちは。
ご投稿拝読しました。
じゆうりつ、とのこと、私は自由律俳句は暗いのですが、義母が自由律の俳人でしたので、若い頃から読んではいました。義母の作品を少しご紹介します。
・頭の上の雁おそろしや脚を揃え
・道はどっちだ萩しどろもどろ
・虹の中へ入ったらどうしようお母さん
私は彼女の句集を読んでも、何がなんだかわかりませんでした。彼女は私に「あんたは見どころがある。俳句をやんなさい」とか言っていました。私はやりませんでしたが、やるならルールを守り、誰が読んでもわかりやすくて共感してもらえる俳句を作ろうと思っていました。
そんな私でも、尾崎放哉の「咳をしても一人」には感動を覚えずにはいられませんでした。初めてこの句に出会った時は、マジ身体に電気が走るようでした。これだけの言葉で短編小説のごとく、人生を、生涯を語っているからです。
さて、御句を拝読しました。「ちらしの裏にもちらし」。「裏」とおっしゃっていますからこれはいわゆる新聞とかに折り込んであったり、ポストに入っている「チラシ」ですね。お寿司ではないですね。それの表面だけでなく、裏面にも印刷してある両面印刷のチラシのことですか。そういうのを、「ちらしの裏にもちらし」というかどうかは別として、問題は、そこにどれだけ人を感動させる「何か」があるかということです。
人を感動させるには、あるいは人に感動を伝えるには、まずは自分が感動したことを整理して文字にしなくてはなりません。その点、両面に印刷してあるチラシ、これのどこがどれだけ感動的であるかだと思います。
それは他の句にも言えます。
「トイレ掃除素手でしてみる」というのがありますが、生まれてからずっと素手でトイレ掃除している私には、あまり感動がわきません。セレブの奥様が未知の汚いことに挑戦してみるということでしょうか?
「雑草を素手で抜いてみる」とかですと、今までは軍手をはめてスコップを使っていたり、芝刈り機を使っていたのを手掴みすることによって、雑草の強い生命力を感じることができた、とかが伝わります。
・朝焼けの街を裸足で歩いてみる
とかであれば、徹夜明けのキャリアウーマン(もはや死語、失礼)、あるいは彼と一夜を過ごしてハイヒールを片手に、とか、情景が浮かぶのですが。
別のところでげばげばさんもおっしゃっていますが、私もそうですが他の方々もおそらく「自由律」を否定などしないと思いますし、感動したらコメントせずにいられないと思いますよ。
ボヤキや「あきちゃった」とかではなく、感動的で情景が鮮やかに浮かぶ自由律俳句を読ませてください。チャレンジ期待しています!