俳句添削道場(投句と批評)

イサクさんの添削最新の投稿順の1343ページ目

「残り物集めて小鍋小正月」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 残り物集めて小鍋小正月

なおじいさまご無沙汰しております。
定期ROMすらしておりませんでしたが、なおじいさまからのコメントはいくつか拝見しました。ありがとうございます。
こちらにはあまり顔は出さないと思いつつも、今年もよろしくお願いします。

さて、このサイトでの通常運転(笑)
御句で気になった点はふたつ+α
◆上五中七の報告感
 省略したり語順を調整して説明感を減らしたいです。この句の場合は動詞の「集めて」が説明になっていますので省略でしょう。
◆「残り物で鍋をする」+「正月をすぎた時期」の組み合わせの類想感
 季語「小正月」から作ったゆえに、小正月の因果から作ってしまった句なので、因果を外したいです。季語を変えてしまう方が簡単なのですが、「小正月」からのチャレンジですよね?
◆+αとして、「寄せ鍋」の意味で使う「鍋」に季語感があるのですが、この句では季重なりとまでは言いません。

ということで、俳句の技法「切れ」とか、説明の動詞を減らすとか、行為としての「鍋」ではなくモノとしての「鍋」の映像とか、いろいろ考えてみました。

・小正月残り物みな鍋の中

点数: 6

「山茶花やフレアスタック唸る庭」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 山茶花やフレアスタック唸る庭

おはようございます。あけましておめでとうございます。

コメントありがとうございました。なおじい様のコメントで気が付きました。
俳句で飯を食っているわけではない以上俳句が負担になっても仕方ないですし、でも上手くなりたいなら多少の負荷を覚悟しないとですし、難しいところです。

さて御句、
◆「フレアスタック」句材として面白いですし興味深いです。
 今後どこかでこっそり使ってたら突っ込んでください。
◆「フレアスタック」が庭に向けて放出されているみたいな映像になってますね。「山茶花」の咲いている場所として、無意識に「庭」という単語で説明しようとしてしまったのかな?と。
 句の受け手の想像力+季語「山茶花」を信頼すれば、庭とか道路とか工場敷地などの映像は出ますので、「庭」は省略可能かと。「フレアスタック」が取り合わせの主役なので、要素はこちらに絞りたいです。
◆「フレアスタック」という単語が強く、「唸る」でさらに強めてしまっているので、季語の存在感が薄くなってしまいます。季語の中には最初から強いものもありますが、「山茶花」ならばもう少し山茶花の映像を読後に残したいです。
 「唸る」を外す方法もありそうですが、音のことを言いたいのであれば「唸る」は残すべきと考えます。

ということで、季語「山茶花」を生かすための「フレアスタック」を考えてみました。上五を字余りさせています。

・フレアスタック唸る山茶花散っている

句材が良いので、ここで出しちゃうのは勿体なかったかな・・
さらにご自身の句として推敲してみてください。

点数: 2

「木菟啼きて嫁に行くなと云ふのです」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 木菟啼きて嫁に行くなと云ふのです

おはようございます。
イサケです。今度どっかで使います。
げば様とかT様とか他数名コメント減ってるかな?とは思いました。まあマイペースで参りましょう。

さて御句、何か元ネタがあるのかなあ?と思いました。なければ、俳句としてはやや強引な物語展開かと思いまして。因果のあるなしの判定も難しい。

木菟の鳴き声が「嫁に行くな」と聞こえる、という受け取りがいちばん素直だと思うのですが(「啼きて」と「云ふ」をダブルで使っているので作句意図は違いそうですが)、俳句っぽくするなら語順が逆?

・嫁に行くな嫁に行くなと木菟の啼く

ただ、現代俳句に現代詩的な読み下しの形はよくある気がしますし、さきほどの推測の「啼きて」で一旦切れているとしたら、語順を変える必要まではないですね。あとは受け手を信頼しつつも、受け手に優しい形がありそうかな?
その場合「云う」の主語がわからないので、提案句を置きにくいところです。妄想では「兄弟」とか「幼なじみ」とかになりますね・・元句をできるだけ生かすなら

・木菟や兄が嫁に行くなと云ふのです

点数: 2

「山茶花や輪廻を思ふ花と土」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 山茶花や輪廻を思ふ花と土

ごぶさたしております。コメントありがとうございます。
そもそも巨匠とかでもないですし、言われるとコメントしづらくなりますので、フランクに行きましょうフランクに。

御句、コメントを読むと下五の「花」は山茶花のことですね。
「花」はご注意ください。季重なりとは思いませんが受け手を困惑させがちです。

◆まず推敲が難しい点。有季定型俳句とは季節のごとの変化を、もっと大きく言えば季節の移り変わりによる生命の循環(人間を含む)を詠んでいるので、だいたいの季語に「輪廻」感はあるということ。
 ことさら山茶花を見て自分がそう思った、というのを句に残すのは良いと思いますが、ある意味「当たり前」の「理屈」を詠むことになります。また、受け手にとっては季語が他のものに変わりやすい可能性があります。この句の場合は散る花や儚いイメージの花、例えば上五を「桜木や」などにしても違和感が薄いはずです。
 この点は、「作者がそう思った」という句意なので、私からは変えられません。

◆山茶花の散る姿を詠んでいるのであれば下五の「花と土」に蛇足感がありますね。「花」は言わずもがな山茶花の花びらのことですし、「土」は山茶花の足元に見えています。

この句の場合は「作者がそう思った」という点に主眼がありそうですので、少し形を変えて以下のようになります。

・山茶花の散りて輪廻を思ひけり

「輪廻を思う」をわざわざ言わずに俳句の世界観や季語に託して、説明せずに映像だけを見せて、受け手の想像力を信頼する勇気があれば、もっと俳句の幅が広がることがあります。例えばの句を置いておきます。掲句の下五のことばを借りて。

・山茶花のはなびら土に触れてをり

点数: 3

「一ゲームだけはセーター着てプレイ」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 一ゲームだけはセーター着てプレイ

こんばんは。

『スポーツなどで、最初に着ていたセーターを脱ぐ』というのは類想っぽかったですね。私もこの類想は引っかかってます(投句して非掲載)

◆下五「プレイ」は1ゲーム目なのに、「セーターを脱ぐ予定」の2ゲーム目以降、すなわち未来のことを語ろうとしています。俳句としては映像が出にくくなりますし、あざとさを感じる手法だ思います。
◆他の方からも似た感想が出ていますが、「ゲーム」「プレイ」の両方を使っていて、【なにをしているか】ということを強く出しているのですが、ゲームの具体性を【言わなさ過ぎ】て何をやっているのか想像しきれません。私は「ゲーム」「プレイ」「セーターを脱ぐ予定」で、むしろ草サッカー・テニスなどのスポーツを想像しましたが・・

この句の場合、季語「セーター」を立てるために何ができるか?という点だと思います。「ゲーム」「プレイ」の両使いはやめたり、そもそも何の「ゲーム」なのかは重要ではない方へ持っていって、考えさせないという手もありますね。

・二プレイ目からは脱いでいるセーター (ゲームっぽく)
・セーターを抜いで始める二セット目 (テニスっぽく)

・一ゲーム目だけセーター着てました(過去形で「今は脱いでいる」ということになると思います。あまりお勧めはできません)

点数: 2

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