「木菟啼きて嫁に行くなと云ふのです」の批評
回答者 イサク
おはようございます。
イサケです。今度どっかで使います。
げば様とかT様とか他数名コメント減ってるかな?とは思いました。まあマイペースで参りましょう。
さて御句、何か元ネタがあるのかなあ?と思いました。なければ、俳句としてはやや強引な物語展開かと思いまして。因果のあるなしの判定も難しい。
木菟の鳴き声が「嫁に行くな」と聞こえる、という受け取りがいちばん素直だと思うのですが(「啼きて」と「云ふ」をダブルで使っているので作句意図は違いそうですが)、俳句っぽくするなら語順が逆?
・嫁に行くな嫁に行くなと木菟の啼く
ただ、現代俳句に現代詩的な読み下しの形はよくある気がしますし、さきほどの推測の「啼きて」で一旦切れているとしたら、語順を変える必要まではないですね。あとは受け手を信頼しつつも、受け手に優しい形がありそうかな?
その場合「云う」の主語がわからないので、提案句を置きにくいところです。妄想では「兄弟」とか「幼なじみ」とかになりますね・・元句をできるだけ生かすなら
・木菟や兄が嫁に行くなと云ふのです
点数: 2
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久々におじゃまします。
懇談やら冬期講習やらバタバタですが、いつも覗いて勉強させていただいています。
みなさんご意見をよろしくお願いします。