北風の窓を叩きぬ朝ぼらけ
回答者 腹井壮
添削した俳句: 昨夜来窓を叩いて北風過ぐる
おうちゃんさん、こんばんわ。
コメントにありましたが確かにそれは恐いですね。でも都会に住んでいると逆に自然のルーチンを感じられることが羨ましく思います。
原句は色々説明している割には句意が伝わってきません。朝ぼらけを使えば時間の推移が描写できます。「北風の」の「の」は文語上「が」に相当します。
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回答者 腹井壮
添削した俳句: 昨夜来窓を叩いて北風過ぐる
おうちゃんさん、こんばんわ。
コメントにありましたが確かにそれは恐いですね。でも都会に住んでいると逆に自然のルーチンを感じられることが羨ましく思います。
原句は色々説明している割には句意が伝わってきません。朝ぼらけを使えば時間の推移が描写できます。「北風の」の「の」は文語上「が」に相当します。
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回答者 腹井壮
添削した俳句: 霧雨の見上げた先は冬の虹
哲之さん、こんばんわ。
氷のチャペルがなかなかの難工事になっています。
霧雨の向こうに冬の虹が見えるなんてなかなか見られない光景ですね。俳句として残したい気持ちはよくわかります。
ただ冬の虹を見た事もないうえ霧雨の中に見えている光景が全然イメージできません。よって推敲の際のアドバイスです。
まずこのパターンはオノマトペが効果的だと思います。実際に見た光景を思いだしながら考えてください。
最後になりますが霧雨は霧の傍題として秋の季語になります。ところが霧雨と同じ意味の糠雨 小糠雨 糸雨 細雨になると季語にはならないようです。
御健闘を祈ります。
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回答者 腹井壮
添削した俳句: ポッケよりのぞくリボンやクリスマス
度々、お邪魔します。
自分も確かにハオニーさんと同じ意見です。しかしフェイスブックの俳句サークルの管理人さんに「の」は切れ字だと断言されている方がいました。そのせいかそのサークルのメンバーの数人が「の」は切れ字と仰っております。
おそらく、芭蕉の「用いる時は四十八字皆切れ字なり」や
大寒の一戸も隠れなき故郷
は上五で切れているとか
三月の甘納豆のうふふふふ
は中七で切れている
なんていう事を有名な俳人達が解説しているからだと思います。
切れのない俳句を俳句と思っていないので自分としてはどうでもよい話ですが現代俳句の一つの考え方ではないでしょうか。
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回答者 腹井壮
添削した俳句: 俎板に愛憎刻む小晦日
西村俊彦さん、こんばんわ。
はじめまして、腹井壮と申します。もしかしたらはじめましてではないのかもしれませんが宜しくお願いいたします。
お節を作る嫁姑に目を向けるとは何とも日本の年末らしくて俳句に合いそうなシーンです。
さて、原句は人間が登場していないので句意が伝わりずらいのとちょっとホラーな感じがしますね。
しかし、この添削にしてもお節を買う事が多くなってきた昨今、果たして句意がどの程度伝わるのか疑問です。料理男子なる言葉も定着しつつありますし。
季語は動くかもしれませんが
嫁姑火花散したお節です
と口語体に改めて言い切っちゃうのもアリではないでしょうか。
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回答者 かぬまっこ
添削した俳句: 一京の冬の波ありチバニアン
私のクリスマスの句に添削ありがとうございます。「覗く」と切れ字について、納得しました。チバニアン初めて知りました。ニュースでそれらしいことを言っていましたね。私には難しくてよく分かりませんでした。(=^・^=)
点数: 1