「強がりでまた怖がりで猫じやらし」の批評
回答者 卓鐘
添削した俳句: 強がりでまた怖がりで猫じやらし
口語には口語の文語には文語の良さがあり、それを自由にケースバイケース使えるのは現代人の特権で、口語を認めないというのは俳句の進化の否定であり、文語否定もまたしかりと考えております。
御句、確かにツンデレの女の子みたいですね(笑)
そんな猫じゃらしだから猫もじゃれるんでしょうか。いい句と思いました。
点数: 0
回答者 卓鐘
添削した俳句: 強がりでまた怖がりで猫じやらし
口語には口語の文語には文語の良さがあり、それを自由にケースバイケース使えるのは現代人の特権で、口語を認めないというのは俳句の進化の否定であり、文語否定もまたしかりと考えております。
御句、確かにツンデレの女の子みたいですね(笑)
そんな猫じゃらしだから猫もじゃれるんでしょうか。いい句と思いました。
点数: 0
回答者 長谷機械児
添削した俳句: 黒白の種ありてこそ西瓜かな
なおじいさん、「西瓜大菩薩」句の添削ありがとうございます。
私の俳号について、「はせ・きかいじ」と読みます。NHK俳句の投句時にふりがなを求められたとき、この読みで入力しましたので、これから特に凝った読みに変えることもないと思います。
拙句について、「菩薩」より「大仏」では?というご指摘。確かに、仏像の「菩薩」像は大体すらっとした立ち姿で、坐している姿は「如来」像に多いですね。ただ、「大菩薩」というと、もっとも一般的なのは「八幡大菩薩」ではないかと。こちらは菩薩と呼ばれながらも神様なので、描かれ方はいろいろ。視覚的なイメージよりも、ドッシリした威圧感の言葉として選んだものです。
あと、大きさを強調する「メガ」。どこかで使ってみたいです。
御句について、「黒白」はやはりひっかかりを覚えるところです。
卓鐘さんのように分けてしまうのも手かと思います。
提案句ではなく、参考として、種の色表現をやめて動作に変えてみました。
種除くる手間もあるべき西瓜かな
今後とも、よろしくお願いします。
点数: 1
回答者 卓鐘
添削した俳句: 秋めくやメトロノームの減速す
いつもコメントありがとうございます。
夜食の句、驚きました。少し不安だったんですが、完璧に意図通りに読んでいただきました。「(根拠なく)死を怖がる」と「夜食」の完全な取り合わせの句でした。
一度やってみたかった型なんですが、なかなかいいのが思い付かず、ふと思いついたので。「12音+3音の季語+かな」で、一物ではなく文法上、12音と下五がくっついているけど、実は切れとなる取り合わせの手法。
■遠山に日の当たりたる枯野かな 虚子
これは、一物とする人と取り合わせとする人が分かれるようです。(一物と捉える人が主流)
■さまざまなこと思い出す桜かな 芭蕉
これも桜が思い出すわけじゃないけど、思い出させるような桜と読めば、一物かもとは思う。(取り合わせと主張する俳人もいました。)
■沢潟を水の流るゝ浴衣かな 野村喜舟
これは浴衣とは全く関係のない取り合わせとほぼみんな思うと思います。
これをやってみたくて、形になって、その通り読んでくれるゲバさんがいて、満足しました(笑)
点数: 1
回答者 卓鐘
添削した俳句: ニホンザル西瓜喰えぬぞ電気柵
コメントありがとうございます。また、いつも見ていただいているとのこと、恐れ入ります。
御句ですが、「喰えぬは」としなくても、電気柵があるから食えないという理屈が前面に出てしまっている句となっています。西瓜畑に電気柵があればそれは動物よけということは分かりますし。猿に向かって、おいもうこれで食えないだろう。では、切り取った場面としてあまり詩情というものが感じられません。句想に難ありというところです。
切れというのは、活用後の終止形、切れ字(や、かな、けり など)、体言止めによって作られます(厳密には切る意思があれば切れとなりますが、これは難しいので)。このうち、体言止めはそこだけ見ても分かりませんが、御句の場合、「ぞ」によって日本猿!という呼びかけに見えますので、三段切れになってますね。
句想に詩情が見つけられないため提案も難しいところですが、
点数: 1