俳句添削道場(投句と批評)

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「神の留守うたた寝すかな堕天使が」の批評

回答者 ハオニー

添削した俳句: 神の留守うたた寝すかな堕天使が

はじめまして
うたた寝できない仕事をしている、俳句歴ちょっとのハオニーです
切れ字はその3つの使い分けができれば、俳句の添削はある程度できるようになります

堕天使は旧約聖書のお話で、神の留守は「全国の八百万の神様がこぞって出雲大社に集まること」を指しています
天使が堕天使となった理由は人間への嫉妬と、天使である我々は優秀だと思い込んでいた慢心です

「神の留守」のあとに西洋の雰囲気が出ると、どこかちぐはぐな世界観だと感じる人もいるでしょう
宗教の季語は、とてもやりづらいテーマです
それ以上に気になる点が二つあります

グレた(堕ちた)天使が煙草を吸ったり、天国での仕事をさぼってうたた寝していたりならばそれは「天使」であり、追放されたはずの「堕天使」ではないのです

そして、宗教の季語は具体性に欠けるものが多いです
具体的な映像を何らかの形で絡めていくと、「神の留守」がより活きてくるでしょう

私なら
天使らのうたた寝の海/神の留守
と、穏やかそうな海を絡めます

点数: 3

「神の留守うたた寝すかな堕天使が」の批評

回答者 腹井壮

添削した俳句: 神の留守うたた寝すかな堕天使が

森田拓也さん、こんばんわ。
いつもお世話になります。

原因の調べを整えるだけなら

堕天使の転た寝しをり神の留守

になります。
森田拓也さんらしくユニークな発想だと思います。
ただ原句は日本神道と外国の宗教(キリスト教・イスラム教・ユダヤ教)が混ざりあっていて自分からするとかなりデリケートな部分です。
これは大部分の日本人がどんな神様も仏様も横一線で並べてしまう宗教観でそれも良し悪しと思います。

ただ添削となると自分の技量では調べを整えるまでが精一杯です。

ところで切れ字の使い方は確かに難しいです。実作を重ねれば重ねる程難しさがわかります。
森田拓也さんが今の段階で難しいとお感じならば俳句のセンスがある証拠でしょう。

ちなみに「浮かびけり」も「見たりけり」も文語の文法上では問題のない表記ですが「浮かびけり」のけりは切れ字で間違いないと思います。しかし「見たりけり」のけりは果たして切れ字なのか疑問に思う時があります。

混乱させてしまうようですが実作上はあまり問題がないのでこの話は気にしないで下さい。

点数: 1

「白銀の釧路湿原二羽の鶴」の批評

回答者 腹井壮

添削した俳句: 白銀の釧路湿原二羽の鶴

徹之さん、こんにちわ。

シンプルでとても良い句です。
1枚の絵のように描かれています。二羽の鶴とした事で求愛の様子を想像できます。

個人的には直さないほうが良いと思います。

点数: 2

「息白き幼馴染みや巫女姿」の批評

回答者 森田拓也

添削した俳句: 息白き幼馴染みや巫女姿

腹胃壮さん

おはようございます。
僕の句の添削どうもありがとうございます。
俳句のマニュアル=切れ字(や・かな・けり等)を一句に1つだけ使う。
「見たりけり」が正しい使い方であること。
そして、そして、素晴らしい添削!ありがたい添削です!
どうもありがとうございます。

また、ご感想になります。

「息白き」というお言葉から、汚れのない透き通ったものを感じまして、
それが「幼馴染みや」や「巫女姿」というお言葉に心地よい連想として
繋がっていると感じさせていただきました。
「幼馴染みや」から、過去から現在までが哀愁のある思い出も含意されているような
素敵な気持ちになります。

点数: 1

蹲の水面に映る寒椿

回答者 よしはむ

添削した俳句: 蹲に一枝浮かぶ寒椿

おうちゃん蹲にさん、こんにちは。
蹲とは珍しい物を題材にされていますね。
蹲とは日本庭園の添景物の一つで、露地(茶庭)に設置された手を清めるための手水鉢です。

句の印象としまして、『一枝浮かぶ』だと、寒椿の木の枝が浮かんでいるような誤解を与えてしまうと思います。蹲は小さい手水鉢ですので、これだとあまり趣がありません。
そこで、月並みかも知れませんが、

蹲の水面に映る寒椿

としてみました。

点数: 2

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