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こつこつと種割りをるや四十雀
回答者 イサク
添削した俳句: こつこつと種の殻割る四十雀
こんにちは。
季語以外の十二音が、季語の説明になる散文になっているので、俳句
にするために少しだけ四十雀のどこかに注目して余韻を入れたいです。
「殻」は不要とは言いませんがなくても通じそうですね。
・こつこつと種割りをるや四十雀
・こつこつと種割りつづく四十雀
・こつこつと種割る音や四十雀
・こつこつと種割る姿四十雀
点数: 1
淀殿は残れる梅に泣きにけり
回答者 負乗
添削した俳句: 散り残る梅はことに愛おしい落城前の大阪城
白南風さん、こんにちは🙂
句の着想が湧いたら、とりあえず五七五に収めてくださいな😑
戦国時代は、ほとんど関心がないのですが…
点数: 1
「先ほどの句について」の批評
回答者 卓鐘
添削した俳句: 先ほどの句について
俳句も表現行為なので、俳句で「いけない行為」というものは存在しないと思います。自分が俳句だといえばそれでいいと思います。
ただ、好きな表現をすることと、作品として評価されることは別問題なので、添削としてのコメントは、こういうところを気をつけると「俳句作品」としては評価されやすいかもですね。ということだけです。ただ、人によって感じ方も評価の基準も(プロの世界でも)当然別れるので、絶対的にどうだということはないのですが。それでも一定定石のようなものはありますね。
ということで、先の句は、表現の自由として何も問題ないと思います。(著作権とか等に切れているでしょうし。)
点数: 2
秋の空二人を結ぶバルコニー
回答者 なお
添削した俳句: 木漏れ日に二人を結ぶバルコニー
こんにちは。
てつ様、いつも勉強させていただいております。
御句、コメントを読むまでは、避暑地の山荘で、若い二人が仲良く座っているような景を思い浮かべました。
それなら木漏れ日に、ではなく木漏れ日や、とかのほうがいいのではと思ってコメントを拝見。そしたら、なんだか江戸時代のお話が登場。面白い話です。で、この句はそれを現代に持ってきたのですか?
そうなると、この二人は別々のところにいて、お互い空を見上げている、ということになりますね?
それだと木漏れ日は似合いませんよ。視線の高さが違うと思います。ここは澄み切った高い空を表す季語を入れたいです。そこを二人とも見上げているわけです。そこで秋の季語ですが秋の空を持ってきました。夏の空でもいいですが、あまり雷や夕立は降らせたくないので…(笑)。
ご参考になれば幸甚です。
点数: 1