俳句添削道場(投句と批評)

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あの雪渓歩いた日々や家仕事

回答者 卓鐘

添削した俳句: あの雪渓歩いた我や家仕事

目の前に雪渓がある。以前あそこを歩いた我はすごいなぁ。今、家仕事やっている。
そんな意味になりますかね。
「や」は、直前を強調しますので、なんてすごい(他は何だろ。。)「我」何だろうかとなりますが、ちょっと言いたい感じと違うかもですね。
かつての俺はすごいだろという意図だとすると今度は、「我や」と「雪渓」のバランスがちょっと悪い気がします。ここは、我ではなく日々を詠嘆した方が意図した意味に近づきませんか?あとは「家仕事」の是非ですかねぇ。あまり聞き馴染みのなく国語辞典にもなさそうなので、いろんな連想ができるというよりちょっとイメージがぼやけて僕は、困惑してしまいました。

私は最初、熊に襲われてもう狩ができなくなった猟師さんを思いました。

点数: 1

「蝉時雨噴水の水干上がりぬ」の批評

回答者 西風子

添削した俳句: 蝉時雨噴水の水干上がりぬ

卓鐘様
泉湧く西風子です。
色々な美しい泉の画像をありがとうございます。私は、テレビやネット等では見たこと有りますが、実物は見た記憶が無いように思います。百名水ならなんとかなりそうです。引き続き、精進します。

点数: 0

噴水に湛ふ水なく蝉時雨

回答者 秋沙美 洋

添削した俳句: 蝉時雨噴水の水干上がりぬ

こんにちは。

この句はあまり季重なりっぽく無いですね。干上がってしまった噴水に季語としての力は無く、素直に蝉時雨の句として読めました。
細かい部分だけ…

点数: 0

先ほどの句について書き南風

回答者 負乗

添削した俳句: 先ほどの句について

白南風さん、こんにちは😅 恐れ入ります。
もちろん、もちろん、俳句表現は自由です。「やってはいけない」ことは、ない、と言われます。百年以上前から、新傾向俳句とか自由律俳句とか、いろいろな試みがあったようです。私などはまだ、''俳句歴''一年半ほどで、何も知りませんが、思うに、五七五は、何百年とやってきた先人達が自然にそこに収まった詩型ではないですかね。決まりごとが煩瑣で鬱陶しくも思え、何千とある季語も、ずいぶん古臭く感じます。しかし、「俳句」としてやるのだったら、仕方のないことですかね。私どもは、俳句という詩型に言わば''間借り''しているわけですからね。私は、古いことには興味があるので、訳のわからん季語でも、何だろうな、と調べてみます。「型」も「文語」もしっかり身に付けたいと思っております。(恥はかきたくないですから😅)
ま、自分が楽しくやるのが一番ですかね。俳論を述べるのは10年早いですから、現時点で思うのは、そんなところです。
講釈、すいませんでした。

点数: 1

種を割る嘴の鋭利よ四十雀

回答者 秋沙美 洋

添削した俳句: こつこつと種の殻割る四十雀

こんにちは。

たしかに「殻」は必要ないかなと僕も思いました。その分を削って他の情報を入れ込みたいですね。
提案句、四十雀の嘴に注目してみました。他に注目したいポイントもあるかと思いますが、あくまでパターンの一つとしてお考え下さい。

点数: 1

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