「薄氷踏みて久女の句碑仰ぐ」の批評
ひろせならありす様
確認いたしました。
春一番の添削に始まり、襁褓の句で私に対する印象を決定されたかと拝察申し上げます。或いは、私を過去に遡り、私の人としての評価を決定されたかと存じます。
そんなに暇ではないですよね。😅
さて、お礼だけを述べたいこともあり、そのような場合、どうしても投稿されたどれかを選ぶ必要があります。
投稿もなければ、お礼すらできませんが。
御句の批評とのことですが、前後しまして申し訳ございません。
御句、事実をご報告されている感じで、私は詩を感じませんでした。
添削案はございません。
これが私のレベルですので、仕方ありません。
だったら、久女について調べてからコメントすべきと仰るのかも知れませんが、頓珍漢な批評をするより、黙っている方がよいと判断することもございます。
適当に、雛文(褒め言葉)張り付けることは好みませんので、悪しからず。
ひろせ様の「お礼コーナー」がございますと、そんな言われ方をせずに済むなかと思う次第です。
「添削道場」ですので、作者の意図を考えながら、私なりに添削やご提案をしておるつもりです。
自分自身の句力向上が、主たる目的です。
これは、自分勝手だとのことですね。
また、せっかく投稿されたのに、手付かずの句があることも一抹の寂しさを感じますので、できるだけコメントさせていただくようにしています。全てではありません。
また、ひろせ様が、どれ程の人格者でいらっしゃるかは存じませんが、例え私がご指摘の通りの「人間」だとしましても、他人を断じるような物言いは、如何なものかと思います。最近のSNSの風潮ですが。
また、御意に寄り添ったコメントになっていないとのご批判をいただくことを覚悟して申し上げます。
今後も利用なさるのなら、本サイトの機能を有効活用されては如何でしょうか。
私は、今後も投稿句を拝読し、もっと良くしたいと思えば、ご提案申し上げます。
頻度は、考えますが。😄
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杉田久女は、結婚により私の住む街へ移り住んだ方です。
恵まれた子ども時代を過ごしお茶の水を卒業した才媛にとり、田舎町での教師妻としての暮らしは思い通りにゆかないことも多かったかもしれません。 しかし久女は妻として母として、そして社会に関わりながら 俳句に情熱を傾けて生き、自らの情熱に翻弄されるように体を、そして心を病んでしまいました。
私が俳句を始めたきっかけは久女です。
毎年句碑のある寺で行われる久女忌には多くの人々が集います。