「教科書に名前を書くやチューリップ」の批評
回答者 イサク
こんにちは。
先に、気にされている「季語の遠い近い」です。
「取り合わせの句」だとしたら、まず初手の距離感はこのぐらいでよいと思います。
慈雨様とかぶりますが、
季語が近い場合というのは、
「季語が、季語以外の部分の理由として使われてそう(季語で説明)」
「季語がその他の部分の比喩として選ばれていそう(季語で比喩)」
「季語と他の部分で意味がかぶっていそう(意味の重複)」
「想像できる範囲の季語で、感動がない(連想の範囲内)」
など、損する理由多くあるのですが、「チューリップ」なら上記はあまり当てはまらなさそうです。
遠いのは
「季語と季語以外の部分と同時に存在した場合、意味がわからなすぎる」
という点に気を付ければ、「遠すぎる」ということは少ないのではないかと思います。(慈雨様の「潮干狩り」は遠い例としては絶品だと思います)
なので、他の植物については
・教科書に記す名前やチューリップ
・教科書に記す名前や黄水仙
・教科書に記す名前やサイネリア
・教科書に記す名前やクロッカス
このあたりの鉢植え・花壇っぽい鑑賞用植物の花の季語は、同じように合うと感じますし、似た風景になりますね。
(後出しですが、この句の内容なら中七名詞で切りたいところです)
・教科書に記す名前や桜満つ
・教科書に記す名前や風信子
桜はさすがに近い気がしますよね。
ヒヤシンスではなく「風信子」表記にした場合、私は近さを感じます。「子」の一文字が入っているからでしょうか?
・教科書に記す名前や花馬酔木
馬酔木は遠い近いよりも「なぜこの花を選んだのか?」という疑問を読者各々で解決する必要がありそうです。
・教科書に記す名前や花大根
これだとまた風景が変わります。畑のそばに住んでいる農家さんかも?
という感じです。いろいろ試してみてください。
点数: 1
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いつもありがとうございます。るるです。
近所の小学校は今日入学式でした。
新学期の気分を詠んでみました。
以前「季語が近い」件について質問しました。
例えば、当句でいうと
【教科書に名前を書くや入学式】とかにすると
近いということですよね。
逆に季語が遠いとは、かけ離れているということですよね。
ではどのあたりがいい塩梅なのかをお伺いしたいです。
今回は【チューリップ】で子供っぽさや春の気分を出しました。
これが同じ花でも【黄水仙】や【馬酔木】では
違うかなという認識でおります。
よろしくお願いいたします。