「畦道の天を仰げる捨案山子」の批評
回答者 慈雨
あらちゃん様、こんにちは。
拙句「無花果や~」へのコメントをありがとうございました。
たしかに「残りそう」より「残っている」傷を詠んだ方が実感が沸きますね。ありがとうございました。
御句、佳いですね。
どう考えても捨てたのは作者ではない(もし作者なら「捨てられた案山子が天を仰いでいるなぁ」→「お前が上向きに捨てたからだろ!」と突っ込まれそう(笑))と思うので、たまたま見かけた案山子ですね。
だとしたら、なぜ「捨案山子」だとわかったのか?
畦道に倒してあるだけなら、単に収穫を終えたので一旦取り外して次の出番まで置いているだけかもしれない。「捨案山子」とわかったということは、明らかに捨てられたとわかるようなボロボロの状態だったのかな、すでに解体されていたのかな、など想像ができます。
天を仰ぐという状況が哀しさを引き立たせていますね。
案山子を捨てる場所として「畦道」は予想の範疇かもしれないので、(完全に改作になってしまいますが)別の場所にしても意外性が出て面白いかもしれないですね。
ビルの谷間とか、フランス料理店の横とか(*´ω`*)
まあそれだと句の焦点がブレそうなので、原句が良いと思ってはおります(だったら言うな、と自分で突っ込んでおきます)。
失礼しました。またよろしくお願いします。
点数: 1
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少し可哀想な句ですが。