「納骨を終へて炉ばたの秋刀魚かな」の批評
回答者 閑歩
なぉじい様
拙句「颱風の」に丁重なコメントを頂戴し、ありがとうございました。
ご指摘のとおり、2つの動詞がハレーションを起こしていることに気付きました。他の作句もあらためて見直したのですが、どうも私には動詞を多用する傾向があるようです。御句も私であれば、秋刀魚を「食べる」とか「突つく」という動詞を入れたくなるのですが、炉ばたの秋刀魚で留める方がより深みが感じられますね。とても勉強になります。
引き続きよろしくお願いします。
点数: 1
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こんにちは。前句「夜間飛行やすやす越ゆる天の川」にはたくさんのコメントおよびご提案句を有難うございました!
お一人ずつ返信しますとネタバレ的になってしまうので控えていました。ここで一気にお伝えさせていただきます。
まず驚きましたのは、皆さん私が飛行機に乗っているとお思いになられたこと!実は私は地上にいて、夜空をライトを点滅させながら飛ぶ機を見ていました。その機が、何億光年の天の川をあっという間に突っ切った様子を詠んだものですが、皆さん大多数が搭乗あるいは操縦の句とお思いになったのなら、私の力不足ですね!
また、確かに天の川とくれば夜間ですよね。ただ、「夜間飛行」は私の好きなちあきなおみさんの歌のタイトルであり、「街の夜景=地上の天の川」を見ながら旅に出る、もうこれだけでロマン溢れる措辞ですので外せなかったのです。
しかし、米米は思い浮かべませんでした。浪漫飛行、いいですね(笑)!
「やすやすと」でいいかお聞きしたのは、天の川を見くびっているように読めないか?と思ってのことですが、この点にも配慮くださったコメントがありました。
「天の川に影が浮かぶ」は?という素敵なコメントもありました。
皆さんのコメントのどれもが本当に勉強になり、励みになります!これからもよろしくお願いします。
さて本句はお題ですが、金曜日に葬儀がありました。それは嬉しいことではないですが、故人は大往生であったことと、久しぶりに親族(すごい人数)が一堂に会して、ある意味和気藹々でした。
そこで本句は、悲しいことを終えて一息ついて、気のあった親戚と居酒屋で秋の味覚を楽しむ、みたいな作りにしてみました。ご意見よろしくお願いします。