「君が居て知ることばかり青き踏む」の批評
慈雨さん、こんにちは。
先日は、仕事にかまけて道場をサボっていた私に温かいお言葉を有難うございました。
また、道場の皆さんに対して丁寧なコメント、私も拝読していて勉強になります。これも感謝です。
さて御句拝読しました。
ご自身の懸念なさっている点ですが、まず句意(お気持ち)はグイグイ伝わってきます。
映像については、私は「君」への感謝の気持ちが何かしら映像で具体的に入っても良かったかとも思いました。この点については、感じさんがさすがのご提案をなさっていますね。
動詞3つは全然ゴチャゴチャなどしていません。私は「えっ、3つもある?」と数えてしまったほどです(笑)。例えば「居る」などは状態の動詞ですよね、動作というより。だからですかね。
上五中七の流れ、これはストーリーですから因果とは言わないでしょう、これも全然気になりません。
ただ、「君が」の助詞、これは私も感じさんと同じに「君と」を推します。
最後に、季語「青き踏む」、これをお使いになりたくて本句をお詠みとのこと。ですので、これは動かせないですねー。
でも私は、そうした作者のご意向を無視して(笑、ごめんなさい!)、こんなのを考えました。
・野遊や君に教はることばかり
また引き続きよろしくお願いします!
添削のお礼として、なおさんの俳句の感想を書いてください >>
たとえば花の色とか、鳥の声とか、土の薫りとか、生きる意味とか。君といて初めて気づかされることがたくさんある。
「青き踏む」、素敵な季語だなーと思い、春が終わる前に一句作ってみました。
(迷った点)
・句意が伝わるか?
・映像に乏しいか?
・動詞3つでゴチャゴチャしているか?
・上五中七が因果っぽいか?(自分としてはさほど気にならなかったのですが)
・上五の助詞がどうか?(「君が」「君の」「君と」…それぞれ微妙に印象が変わりますね)
その他諸々、ご指導くださいm(__)m