「秋桜さやけき朝の乱れ髪」の批評
回答者 ケント
おはようございます。
貴句、二句拝見致しました。
仮にも真の俳人を目指す卓鐘さんにコメントするのもおこがましいとは思いますが、感想を述べさせて頂きます。
「木偶の坊」句、コスモスを詠嘆せずに敢えて風を「や」切りされたのは、風の吹くまま、気の向くままに靡く木偶の坊を強調されたものと読みました。操り人形の如くに。しかしここはやはり季語コスモスを軽く詠嘆するためにも「コスモスや」とすべきと思いました。「野を行く風」も少し曖昧かなあと感じました。「気儘な風」と言い切った方が良いのでは。その方が木偶の坊の唐突感がなくなる気がしました。
コスモスや気儘な風の木偶の坊
二句目、
「さやけき」は、「さやけき秋桜」「さやけき朝」の両方にかかっているように読めました。
「乱れ髪」は、作者自身の事。
句作に励み、つい寝付くのが遅くなり朝寝坊してしまった自分の姿。さやけき秋桜やさやけき朝に比べ、何と自堕落なことよ!と己を悔いているかのように読めました。
「木偶の坊」、「乱れ髪」このふたつの言葉に私は作者の深い決意と自戒の念を感じざるを得ませんでした。たとえ選に漏れたとしても、作者の俳句に対する情熱と決意は少しも揺らぐものではないと感じた次第です。
(いづれにしてもコスモスは少しの風に揺らぎますね。可憐ですが弱々しい。)
生意気をお許し願います。
点数: 1
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俳句ポストののらなかったほう。並選で、
コスモスの野を行く風や木偶の坊
毎度毎度、火曜日。悔しすぎて、悔しすぎて、ねれません。どっちの句も僕の実感の句で、一定手応えがあったし、努力もしてた分いつもの数倍悔しい。学生時代なら嗚咽して泣いてたと思う笑
慰めてもらっても惨めなだけので、どちらの句もボロカスにしてあげてください。感覚でもなんでも悪いところをいっぱい教えていただけると嬉しい。😭