後悔を幾つカーネーション白し
回答者 秋沙美 洋
こんにちは。
「後悔を束ねる」という捻った表現がどこまで受け入れられるか、ですね。今回僕はナシ寄りです。
実際に束ねているのはカーネーションで、後悔を束ねている訳ではありません。ですがまあ、詩の言葉として見るとまだ許容範囲。
ですが、「白し」と強く言い切ってしまうと話は変わってきます。
白いのはカーネーションであり、カーネーションは後悔である訳です。となると、白色をした後悔って何?という部分がちょっとフワフワし過ぎかなあ。
「カーネーション」と「後悔」くらいで収めるなら言葉同士の調和は取れるのですが、「白」「後悔」の二語で考えると、やはり句の中で上手く響き合っていない感じがしました。
この句は「後悔」「白いカーネーション」の二つを分け、取り合わせの句として詠んだ方が良いと思います。提案句の形です。
点数: 1
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母の日テーマということで今度は陰に視点を当ててみた。白は母の日のカーネーションのルーツであり、現在は死に別れた母を偲ぶ色として定着している。
そんな白のカーネーションの花言葉は
「尊敬」「私の愛情は生きている」
亡き母へ母の日を供える人々は、尊敬や愛情を忘れないからこそ「もっと言うこと聞いてればよかった」「一緒に旅行したかった」など、後悔をそれら以上にこの日へこめているのではないか。
「束ね」ではなく「束ねて」と敢えて字余りにして重みを出し、「白し」で締めて最後に白のインパクトを出してみた(母の日のカーネーションは赤のイメージが大きいので裏切りを与える)。