「山手線日向ぼっこのため回る」の批評
いつも、整然とした批評ありがとうございます。
・拙句「カサゴ」
主眼は、確かに焦点化すると「カサゴ」になります。しかし、背景はコロナ禍で 行うことのできた「宴会・慰労会」。そこでの1カットが「カサゴ食う」と整理しています。皆さまの添削を参考にさせて頂き、以下のようにまとめました。
疫下の宴バリボリガリとカサゴ食う
・御句「日向ぼっこ」:今後の希望です。イサク様のコメント欄に、「作句の背
景・意図(狙い)・自由題の時は季語選択の理由等」を書いていただくこと
は可能ですか?現在は、概ね句会や投稿句でのコメント隠しの状態だと推察
します。初見での無地の感想・類推句等を期待されておられるので、印象と
しまして、実景と創作景に段差を感じることがよくあります。
①初見(この時点では、作者のコメントを読まないようにしています。)は「面白い」と思いました。解釈「山手線に私は、日向ぼっこをするために(最長、自分の最寄り駅からそこへ戻るまで)回ります。」と。「回る」をそのように読み取りました。ややあり得ないことだと思いました。
②次に(ここで他の作者ならばコメントを読みます。今回は短いコメントですので初見で読みました。)、「山手線は、日向ぼっこをするために(存在していて)回る」。この解釈になってしまうと、「山手線が回っているのが『日向ぼっこ』のため」という風に読まれることになると思います。これが、イサクさんの意図ですよね。すると、負乗さんは、断定的な添削句になるということですね。山手線をもっと強調されているようです。
・山手線日向ぼっこのためにあり
「俳句は、記録ではなく作品であるから、提出されればもはや作者から離れる」という一般の考えがあります。イサク様は、それ以前の俳句デッサン、特に風景描写を見ておいでのように思えます。つまり、先ずは作者の意図(題意)を明確化することが第一歩ということですね。
「俳句は17字の作品。その中で、明確化できる点を吟味するしかない方法はない。その後に、相手の解釈がある。」のですね。
イサク様の添削投句のコメント欄への書き込みについての「(のぶからの)今後の希望です。」を宜しくお願いします。
添削のお礼として、のぶさんの俳句の感想を書いてください >>
前の句は「猫こそ類想では」のツッコミ待ちだったのですが、思ったより少なく。