「アベリアや異国のような虹である」の批評
野良猫の句にコメントありがとうございます!
バンドをやってたこともあって、私は俳句
だけじゃなく詩を書くのが趣味なんですよね。
下記の詩をどうしても俳句にしたいとずっと思っていたんですが、「そして」という言葉に出会って、やっと俳句にできたんですよ。
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田園都市線をおりて
一人暮らしの家に
帰ってる途中に
野良猫がいたんだ
その喉を
触らせてもらったとき
なんか嬉しかったんです
立ち去るとき
なんか申し訳ない
気持ちになったんです
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いやぁ〜。
卓鐘さんの読みはすごいですね。
全部言い当てられてます。
コメント読んで、ため息がでました。。。
これは全部私個人の俳句との向き合い方なので、スタイルの違いは絶対あると思いますが、もし気を悪くさせたらすみません。
「多作多捨」が俳句の練習法の基本で、型の勉強や季語
の勉強をして俳句を作る。
本句をその過程の俳句だと、私は思いました。
本句は成功していないとおっしゃっていますが、技術的な本気さというのか、「読ませよう」とする本気さが伝わってくると言ったらいいのか。
本句はシンプルな作りだし、考えなしにおいた言葉がみつからないし、季語以外を変更するとなると、添削
ではなく改作になってしまうので、この情景をこの型で句を作るときの感性や考え方はこれ以上はないと思います。
よって、成功してるかしてないかでいうと、成功してると私は思います。
ただ、好きか嫌いか・良いか悪いかでいうと「普通」ですが、これに問題があるとすると、本句ではなく本当に自分の心が動くものに出会えてないところだと思います。
すみません^^;
なんか何書いてるかわかんなくなりましたけど、「成功してるだろうがっ!」っていいたい訳ではなく、「あとは自分の心が動くものに出会うだけですよー!」「練習は気軽にしたいよね!」ってことが言いたかったですw