「枯葉踏み向かう寒さにさ暖愛し」の批評
キジトラさんはじめまして。
土谷海郷(つちやみさと)と申します。
よろしくお願いします。
初心者さんということですので、一つ一つおさえていきましょうか。
その前に、「寒さにさ」の最後の「さ」はなんでしょうか。打ち間違いでしょうか。
ちょっとわからないので、これは無いものとして話を進めます。
・申し訳ないんですが、句の意味がまったくわかりません。俳句を小難しく考えすぎてわからなくなってる感じだと思うのですが、ちゃんと詩として言葉を繋げることを心掛けた方がいいと思います。
・「枯葉踏み向かう」というところ、季語+動作+動作と畳みかけてる感じは良いと思います。枯葉を踏む音も聞こえてきます。
・「向かう」とあるので、どこに向かうのかと思ったら「寒さ」と来るので、ここでわからなくなります。寒さに向かうというのはどういうことなんだろうか、それとも寒さ自体が向かってきているのか。
・最後の「暖愛し」という表現ですが、はっきり言うと陳腐です。寒いときに暖かさを求め愛するのは当然ですから。
・ちなみにですが、この句は「枯葉」と「寒い」の季重なりです。「枯葉」は冬の季語、つまり寒いのが当たり前なので「寒い」という言葉はいりません。もちろん「暖」という言葉もいりません。
上記のことを踏まえると、この句は「枯葉を踏みながらどこかへ向かっている」という情報しかありません。
俳句は本来字面だけで評価するものですが、こちらのサイトは添削をしてもらうサイトなので、コメント欄にこの句はどういう状況なのか、どういう思いで詠んだのかなどを出来るだけ詳しく書いてもらうと添削がしやすくなるので、次回からよろしくお願いします。
と言いつつ一応作ってみます。
・『待ち合わせ場所へ枯葉を踏みながら』
待ち合わせ場所という情報を加えるだけで、読み手は勝手にストーリーを想像してくれるようになります。これが俳句の奥行きです。
また、「向かう」という言葉は「へ」という助詞のたった一文字で表現できます。日本語の面白いところですね。
俳句は詩であると同時に情景描写、映像描写です。
季語のまわりで何が起きたか、または季語がどういう状態かを十七音で描写するものです。
それを踏まえてまた挑戦してみてください。
次回作楽しみにしてます。