「老父母と居るやすらぎや草の花」の批評
回答者 長谷機械児
添削した俳句: 老父母と居るやすらぎや草の花
かぬまっこさん、こんにちは。
御句については、「やすらぎ」が、「うれしい」「たのしい」に近い感情の直接表現になっていると見えます。
「やすらぎ」を感じさせる具体的な事物に置き換える、というのも一案かと。
老父母の茶飲み話や草の花
今後ともよろしくお願いします。
点数: 6
回答者 長谷機械児
添削した俳句: 老父母と居るやすらぎや草の花
かぬまっこさん、こんにちは。
御句については、「やすらぎ」が、「うれしい」「たのしい」に近い感情の直接表現になっていると見えます。
「やすらぎ」を感じさせる具体的な事物に置き換える、というのも一案かと。
老父母の茶飲み話や草の花
今後ともよろしくお願いします。
点数: 6
回答者 長谷機械児
添削した俳句: 波打てば揺れる人波夏の海
イサクさん、こんにちは。
御句について。
何か不自然なんだなあ…と考えて、思い当たった点をいくつか。
・「波打つ」の意味。国語辞典的に第一義は確かに“波が寄せてくる”なのですが、実際の使用でよく見かけるのは二番目の意味の“波のような起伏がある/波のように揺れ動く”のほうだったりします。上五に唐突に「波打てば」とくると、波状になった何かの比喩なのか? とまずは受け取るものではないかと思います。
・「揺れる人波」。これまでにコメントされている方々は当たり前に把握出来ているみたいなのですが、私には最も引っかかる言葉遣いでした。「人波」というからには、大勢の人がひしめきあって波のようになっているわけで、海の波が来ようと来なかろうと、もう揺れているのでは?
・季語「夏の海」。今回、月曜のN先生のコメントで「夏の波」(角川の歳時記では「夏の海」の傍題)の句も“ひとまず頂いております”とされていましたが、この句はまさしく「夏の波」で一句にすべきものだったろうと思います。
季語「夏の波」から始めて、「揺れる」を別の語に変えて、という案を、
夏の波打てば崩るる人の波
今後ともよろしくお願いします。
点数: 5
回答者 長谷機械児
添削した俳句: 名月や母居ぬ部屋にかうかうと
しお胡椒さん、こんにちは。
御句について。
・「母居ぬ部屋」が言葉として窮屈に感じました。
・「煌々と」を旧かな表記すると、「かうかうと」ではなく「くわうくわうと」となるようです。ただ、私はコメントにある「青白い」のほうが具体性があっていいのではないかと思います。
添削と言うより改作レベルの提案になってしまいますが、
亡き母の部屋青白し今日の月
今後ともよろしくお願いします。
点数: 5
回答者 長谷機械児
添削した俳句: はつ冬や柱時計のぼんぼんぼん
げばげばさん、「サイレン」句の感想ありがとうございます。
御句について…。
下六「ぼんぼんぼん」は韻律としてどうかと…。同じ「●ん●ん●ん」でも、「新幹線」「安心感」のような単語ならば、抑揚に合わせて一部の「ん」を短めにしたりして、定型の調子に収めて読むことも出来るのでしょうが、「ぼんぼんぼん」は3つの「ぼん」の繰り返しで抑揚がないので難しく。
はつ冬や柱時計のぼんぼんと (「ぼん」2つに減らす)
柱時計ぼんぼんぼんと冬はじめ (「ぼん」3つ必要なら中七において、上五を字余りにしてみる)
今後ともよろしくお願いします。
点数: 4
回答者 長谷機械児
添削した俳句: フォーク手に梨の剥けるを待つ子かな
なおじいさん、こんにちは。
御句について。
・とても「梨」らしい光景だと思いました。「柿」だとそんなに子どもが待っていない気がするし(秋の果物のなかで、子どもにあまり好かれてなさそう…)、「林檎」だと待たずに皮ごと齧り付くという暴挙も可能なので。
・「なんだか普通」というのは、「待つ子かな」という着地にあるような気がします。中七までの言葉から想像出来る範囲内にある下五、という感じ。
「フォーク手に」にあたる部分を後半に持って行くのはどうかと、
梨剥けば子らはフォークを握りしめ
梨を待つ子の手に銀のフォークかな
今後ともよろしくお願いします。
点数: 4
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